2014年に公開された映画『るろうに剣心 伝説の最期編』。
本作は、和月伸宏の漫画『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』を実写映画化したシリーズ第3作。2014年9月13日に公開され、前作『京都大火編』から続く志々雄真実編の後編にあたる。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:るろうに剣心 伝説の最期編
原題:Rurouni Kenshin: The Legend Ends
公開年:2014年
製作国:日本
上映時間:135分
監督:大友啓史
脚本:藤井清美、大友啓史
原作:和月伸宏『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』
出演:佐藤健、武井咲、伊勢谷友介、青木崇高、蒼井優、神木隆之介、土屋太鳳、田中泯、小澤征悦、滝藤賢一、三浦涼介、丸山智己、高橋メアリージュン、福山雅治、江口洋介、藤原竜也
ジャンル:時代劇/アクション/ドラマ
あらすじ

志々雄真実との戦いで海へ投げ出された緋村剣心は、飛天御剣流の師匠・比古清十郎に救われる。志々雄を倒すため、剣心は比古に奥義の伝授を願うが、かつて人斬りとして生きた自分に足りないものを見つけなければ奥義は会得できないと告げられる。
一方、志々雄は巨大戦艦「煉獄」で東京湾へ進出し、明治政府を脅迫。政府は志々雄の要求を受け、剣心を指名手配する。奥義を身につけた剣心は、斎藤一、相楽左之助、四乃森蒼紫らとともに煉獄へ乗り込み、志々雄一派との最終決戦に挑む。
前半の『京都大火編』の考察はこちらから↓
比古清十郎が完全に老害
前半で大きく描かれるのが、福山雅治演じる剣心の師匠・比古清十郎との修行。
剣心の修行になると、一気に鬱陶しくなる。
比古は剣心に、「今のお前に足りないものは何だ?」と問い一晩考えさせる。
翌日一睡もしない剣心が「分かりません」と言えば、「今のお前では志々雄には勝てない、仮に勝ってもその先で苦しむ」みたいな話を延々する。
いや、それお前の価値観じゃん。
勝つか負けるかそんな精神論だけで決まる話でもないだろう。
しかも剣心も一晩考えたなら間違ってもいいからとりあえず回答しろよ。
しかも散々引っ張った挙げ句、剣心に足りなかったものは「命の重さを知ること」、つまり他人の命だけではなく自分自身の命も大切にしろ、という超普通の話だった。
めちゃめちゃ普通のことを、そんな溜めて言うんじゃねえよ。
精神論こねてないで早く技を教えろ、バカ野郎。
そもそも本作ではやたらと精神論を述べるシーンが多い。「そんな気持ちじゃ俺には勝てない」的な。
いや、一理はあるけど、精神論でいくら長けていてもやっぱり体力や瞬発力がないと勝てないっしょ。
さらに奥義を伝授した後にも、剣心へ「うぬぼれるな」「お前一人で背負えるほど明治という時代は軽くない」みたいなことを言う。
いや、剣心は「明治という時代を自分一人で背負います」なんて一言も言ってねぇ。
志々雄を倒しに行くと言っているだけだ。
勝手に話を壮大にして、勝手に説教して、また上からマウントを取る。
この比古清十郎、完全に老害である。
映画の尺でキャラ崩壊
実写版の最大の犠牲者と言えば四乃森蒼紫。
原作の蒼紫は御庭番衆最後の御頭だ。
般若、火男、癋見、式尉という部下たちがいて、その仲間たちを背負っているからこそ蒼紫という男の重みが出ていたが、実写映画ではその部下たちが90%カットされている。
結果、蒼紫だけが一人で剣心に挑むことになるわけだけど、映画の蒼紫はひたすら剣心を追い回している男になっている
もう完全に剣心のストーカーである。
この実写版だけ見ると剣心に異常な執着を見せる一匹狼で痛すぎる。しかもこれから志々雄を倒しにいく所に現れるものだから、単純に邪魔。今じゃねぇ。
しかも最終決戦までわざわざやって来たのに、志々雄からも「誰だてめえは」みたいな扱いを受ける。
部下たちとの関係まで描けないのであれば、無理に蒼紫だけを残した結果、キャラクター本来の魅力まで削ってしまっている。
尺問題で被害にあった十本刀
そして問題は、そんな蒼紫に中途半端に尺を使ったことで、今度は志々雄の配下である十本刀まで割を食っているように見えることだ。
原作では十本刀という強敵たちが次々と立ちはだかるからこそ、その頂点にいる志々雄の格も上がっていく。
でも実写版では、まともに印象を残すのは瀬田宗次郎、安慈、張あたり。
しかも張なんて前作の『京都大火編』で剣心に敗れた後、警察に捕まり情報提供者として協力する立ち位置に変更されてるやん。
さらにその他はかなり悲惨。
特に魚沼宇水。
原作では斎藤一との心理戦も含めてちゃんと見せ場があるのに、映画では名前すらまともに呼ばれず、斎藤一の牙突でほぼ一瞬で終了する。
強敵集団「十本刀」の一人なのに、ほとんどモブである。
こうなると敵キャラクターの格も何もあったものじゃない。
部下たちが剣心側を苦しめるから、その上にいる親分が強く見える。
これはヤクザ映画でもバトル漫画でも同じだと思う。
部下を全部端折って親玉だけ出しても、親玉の凄さを作るための積み重ねがなくなるじゃねぇか。
Netflix版『幽☆遊☆白書』でも感じたけれど、漫画実写化って尺の問題が本当にデカい。
削りすぎればキャラクターが崩壊する。
でも全部描けば映画が長くなる。
志々雄真実編をここまで人物込みでちゃんと実写化するなら、二部作ではなく三部作くらい必要だったんじゃないだろうか。
大人の事情で尺を縮めた結果、蒼紫も十本刀も、本来持っていた魅力がかなり削られてしまったように見えた。
4対1はもう集団リンチ
そして一番モヤモヤしたのが、志々雄真実との最終決戦だ。
戦闘そのものは意外と見られた。
藤原竜也の志々雄も存在感があるし、アクションとして勢いもある。
でも構図がおかしい。
原作では志々雄との戦いは基本的に一対一の連戦になっていたはずだ。
ところが映画では、剣心、斎藤一、四乃森蒼紫、相楽左之助の4人が、一斉に志々雄へ向かっていく。
4対1ってもうほぼ集団リンチじゃん。
しかも4人がかりで負けそうになっている。
どういうパワーバランスなんだ?
特に佐之助に限っては素手。
志々雄は刀をブンブン振り回しているのに、佐之助は素手で突っ込んでいくって流石に無理あるだろ。
現実的に考えたら佐之助の腕の一本二本はとっくにもげているはずである。
刀を持った化け物に素手で殴りかかって、それでも普通に戦闘を継続している。
さすがに戦いのルールそのものが崩れているように見えた。
暴力を直接振るわなくても、4対1という圧倒的な数の優位性をもって一人を精神的・心理的に追い詰める行為は、「集団リンチ(いじめ・執拗な迫害)」と同等、あるいはそれ以上の深い傷を与える暴力とみなされるはずだ。
剣心は正義のヒーロー的な役割なはずで、それが思いっきり正々堂々じゃなくなるという不思議な構図だ。
そして、あれだけ比古清十郎に偉そうな精神論を聞かされて習得した最終奥義「天翔龍閃」も、実写になるといまいち凄さが伝わってこない。
漫画なら技名と絵が一体になって、「必殺技が出た」という興奮があるが、映画では技を放った後で「あ、今のが天翔龍閃だったんだ」となってしまう。
一瞬の高速アクションなので何が他の技と違うのか分かりづらいし。
4人でリンチ状態にしておいて、志々雄は15分の戦闘オーバーで自身の体が発火して死亡。
4人で一人を囲んで戦って、それで勝ったと言われても、「これ、剣心が志々雄を超えたってことでいいの?」というモヤモヤが残る。
けっこう楽しみにしていた志々雄編だけど、ツッコミどこしか残らなかったのが残念極まりない。
前半の『京都大火編』の考察はこちらから↓







