2022年に公開された映画『この子は邪悪』。
本作は、片岡翔が監督・脚本を手がけたサスペンス・ホラー。オリジナル企画コンテスト「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM 2017」で準グランプリを受賞した企画を映画化した作品である。
いやぁ、なかなかつまらない映画でした・・・。
お世辞にもいい点が全く見当たらないレベル。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:この子は邪悪
原題:この子は邪悪
公開年:2022年
製作国:日本
上映時間:100分
監督:片岡翔
脚本:片岡翔
原作:なし(オリジナル作品)
出演:南沙良、大西流星、桜井ユキ、渡辺さくら、桜木梨奈、稲川実代子、二ノ宮隆太郎、玉木宏
ジャンル:ホラー/サスペンス
あらすじ

甲府市に住む高校生・四井純は、町で相次ぐ奇病について調べていた。純の母親も6年前から同じ症状を抱えており、患者たちが「くぼ心理療法室」でカウンセリングを受けていたことを突き止める。
そこで純は、5年前の交通事故によって家族の生活が大きく変わった少女・窪花と出会う。事故では母・繭子が植物状態となり、妹の月は顔に火傷を負い、父で心理療法士の司朗も脚に障害を抱えていた。
ある日、意識を失っていた繭子が突然自宅へ戻ってくる。記憶も行動も確かに母親そのものだったが、その顔に違和感を覚える花。純とともに家族の秘密を探り始めた彼女は、やがて想像を超える真実へと近づいていく。
前半がとにかく退屈
まずしんどかったのが前半のテンポの悪さ。
もう倍速で観たいくらい話がダルイ。
玉木宏演じる窪司朗は心理療法士で、5年前の事故によって家族が大きく傷ついているという設定。妻は重傷を負ってずっとベッドで眠ったまま。娘の月は顔に傷を負って仮面をかぶっている。
そして司朗のカウンセリングを受けた患者たちが、次々と四つん這いになって、まるで動物みたいな状態になっていく。
そもそもこの話って全然怖くないんですよね。
ホラーにしたいのか、ミステリーにしたいのか、家族愛を描きたいのか、それともファンタジーなのか。
全部入っているんだけど、どれにも振り切らないから結果として、映像が気持ち悪いんじゃなくて、作品の混ざり方そのものが気持ち悪い。
演出・セリフまわしまでセンスなし
大西流星演じる四井純は、自分の母親がおかしくなった原因を調べていく中で、司朗の娘・花に近づいていく。
「友達になろう」「君のことネットで調べたんだ」みたいなことを普通に言う。
普通にストーカーだろ。人へのアプローチの仕方が下手すぎだろ。
さらに司朗の家の食事会に呼ばれて、仮面をかぶっている月を見て「すごいかわいい」みたいなことまで言うんだけど、かわいいわけねえだろ、そのお面。
「偏見なく接する優しい主人公ですよ」という作り手の意図が透けて見えて、ものすごくあざとい。
司朗も司朗で、純に「いつでも遊びにおいで」と言ったり、「娘とこっそり会ったら俺が嫉妬しちゃうかもしれない」みたいなことを言う。
もはや人物が自然に会話している感じが全然なくて、「この人はこういうキャラクターですよ」という脚本側の説明をそのまま喋らせている感じがする。
だから登場人物が人間に見えない。
全部が役なんですよね。こういう「あざとさ」のせいで物語に全然入っていけない。
しかも司朗の診療所に通った人間が次々おかしくなっているんだったら、普通その家族が気づくだろ。
「あの診療所に通い始めてからおかしくなったよね」となるはずだし、何人も同じ状態になれば当然噂になる。
今ならSNSで炎上するだろうし、行政なり警察なりが動いてもおかしくない。
それなのに普通に診療所を続けているし、全部そういうのはすっ飛ばしてる乱暴な脚本なんです。
そこに至るまでちゃんと説得力を持たせてくれれば、荒唐無稽でも物語に吸い込まれるんだけど、やっぱりその説得力が皆無でしたね。
顔が変わってもその人なのか
やがて分かってくるのが、司朗が人間の魂を別の肉体へ移せるということ。
もうここまで来ると漫画。洗脳とか催眠とかいうレベルじゃない。
ベッドに横たわっている女性の肉体は本来の妻。でも妻の中身は別の身体へ移されている。
ただ、この設定から派生するテーマについては、少し面白いと思った。
人って、顔が変わってもその人なのか。
たとえば自分の子どもが整形して、まったく違う顔になって帰ってきたとする。
当然自分の子どもではあるが、自分がずっと見てきた顔とは全然違う。
そのとき、同じ感覚で愛せるのかなんて考えてしまった。
夫婦でもそうで、愛しているのはその人の顔なのか。身体なのか。それとも中身なのか。
顔が変わっても家族でいられるのか?肉体が変わっても同じ人として愛せるのか?
「その人らしさって一体どこにあるんだろう」という問い自体は、少し考えさせられる部分ではあった。
最後はただの殺人犯になる玉木宏
最終的に、純までウサギと魂を交換されて完全にウサギみたいになってしまう。
ウサギは純粋だから魂を交換しやすいんですって。
もう何でもありじゃん。
しかもそれを不審に思ったおばあちゃんが司朗の家に勝手に入ってくるんだけど、
まず、なんで入れるんだよ。
鍵どうなってるんだ。おばあちゃんに不法侵入の特殊技術でもあるのか。
そして案の定、入ってきたおばあちゃんを司朗がめちゃくちゃに殴って殺すんだけど、それまで司朗って、魂を交換したり、人を別の状態にしたり、そういう異常な方法で支配する人間だったはずなんですよ。
それが終盤になった途端、急に家族の目の前で老人をボコボコに殴り殺すって、いままでのキャラと明らかに違う。
おばあちゃんまでウサギか何かと交換するなら、まだこの映画のルールには沿ってるのに、突然ただの殺人鬼になるってなんなの?
「ずっと一緒だからな」のオチが赤ちゃんへの転生
月に刺された司朗が苦しみながら、「ずっと一緒だからな」というようなことを言う。
これから生まれてくる赤ちゃんに、司朗自身の魂を入れまっせ~。
このセリフが伏線なのはバレバレです。こういうのもいちいちあざといんだよな。
ただ、これも考えてみるとかなり気持ち悪い話なんですよね。
司朗の魂が赤ちゃんの身体に入るということは、もともとそこに存在するはずだった赤ちゃんの魂は芯でしまうということ。
それはある種、自分の子どもを殺しているようなものじゃないか。
なによりも家族を愛している設定の司朗なのに、新しく生まれてくる子の魂は死んでもいいのか?矛盾が生じないか?
そして映画としての大オチが、「司朗の魂が赤ちゃんに入りました」という話。
クソしょうもねえな。
そもそもホラーとして怖くなければ、ミステリーとして面白くない。
つまらない映画には2種類があって、つまらなすぎてだんだん面白くなってくるパターンと、本当に救いようがないつまらなさがあるんだけど、本作は完全に後者でしたね。




