2001年に公開された映画『ロードキラー』。
スティーヴン・スピルバーグと親交のあるJ・J・エイブラムスが製作・脚本を務め、若者たちのロードムービーに、正体の見えない追跡者から逃げ続ける恐怖を重ねた作品。
本作のヒット後には『ロードキラー マッドチェイス』をはじめ、ビデオ作品として続編も制作された。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:ロードキラー
原題:Joy Ride
公開年:2001年
製作国:アメリカ
上映時間:97分
監督:ジョン・ダール
脚本:クレイ・ターヴァー、J・J・エイブラムス
原作:なし
出演:スティーヴ・ザーン、ポール・ウォーカー、リーリー・ソビエスキー
ジャンル:サスペンス/スリラー
あらすじ

大学生のルイスは、幼なじみのヴェナと一緒に帰郷するため、中古車を購入して大陸横断の旅へ出る。途中、刑務所から釈放された兄フラーを迎えに行き、兄弟はCB無線を使って長距離トラックの運転手をからかうことに。
フラーは女性になりすまして“キャンディ・ケーン”と名乗り、“ラスティ・ネイル”というトラック運転手をモーテルへ誘い出す。しかし、単なる悪ふざけで終わるはずだった行為は思わぬ事態を招き、隣室の宿泊客が重傷を負って発見される。
やがてラスティ・ネイルは、自分を騙した相手がルイスとフラーだと突き止める。ヴェナも巻き込まれ、3人は正体の見えない大型トラックから執拗に追跡されることになる。
悪ふざけから始まる、完全に自業自得の恐怖
本作を最後まで観て思うのは、結局のところ「悪いことをしたら仕返しが来る」という、小学生でも理解できるような戒めの話だった。
そもそもラスティ・ネイルとの一件は、兄弟でCB無線を使って女性になりすまし、面白半分で相手をからかったことから始まっている。何もしていないのに突然殺人鬼に狙われたわけではない。
自分たちから相手を挑発しわざわざ危険の種をまいているのだ。
自分はこのブログでも何度か書いているけれど、やっぱり「アホが物語を作る」というのは作品の基本なのかもしれない。
登場人物が常識的な判断しかしなければ、事件そのものが始まらない。本作なんてまさにそうで、フラーがくだらない悪ふざけをしなければ何も起こらなかったわけだ。
そして、その代償を払わされるのが本人たちだけではないのも酷い。
ルイスが想いを寄せるヴェナまで巻き込まれ、そのルームメイトであるシャーロットに至っては完全な巻き添えだ。
兄弟が自分たちで火をつけ、その火が無関係な人間にまで燃え移っていく。
観ているこちらとしては、恐怖よりも「こいつら何やってんの?」という滑稽さのほうが強くなっていった。
登場するたびに評価が下がり続ける兄フラー
そして本作で何より強烈だったのが、兄フラーの救いようのなさ。
最初は単に悪ふざけが好きな幼稚な兄貴くらいに思っていたが、話が進めば進むほど評価が下がっていく。精神的には高校生どころか、中学生くらいに見えるほど幼い。
ラスティ・ネイルを挑発して事件の原因を作る。謝罪できる場面でも謝らない。結果として弟だけでなく、何の関係もない人間まで危険にさらす。
挙げ句の果てには、弟ルイスがヴェナに好意を持っていることを分かっていながら、自分までヴェナを口説こうとする。
もう害悪でしかない。
物語が進むにつれて多少なりとも挽回してくれるのかと思ったら、行動するたびに「こいつ本当にダメだな」が更新されていく。ここまで来るとルイスにとっては兄というより疫病神に近い。さっさと縁を切ったほうがいいと思う。
今回の惨劇の元凶を作り、弟の好きな女性にまで手を出そうとする姿は最後まで「助かってほしい」と感情移入できる余地が皆無に等しかった。
アホが物語を作り、憎しみが最後まで走らせる
本作はスピルバーグの『激突!』を彷彿とさせ、正体の見えない相手が巨大なトラックで執拗に追ってくる恐怖を描いている。
途中では別の男をラスティ・ネイルと思わせるミスリードもあるが、結局本物の顔は最後まで明確には見せず、「誰なのかわからない」という部分はしっかり残していた。
基本的には壮大な鬼ごっこです。そして動機がはっきりしてる分、心理的恐怖は『激突!』より少ない。
ここで改めて感じたのが、憎しみという感情の強さだった。
愛が人間を動かす巨大な力なら憎しみや恨みも同じくらい、場合によってはそれ以上に人間を突き動かす。
ホラーに登場する怨霊なんて、その典型でもある。『呪怨』にしてもそうだけれど、死んでもなお残り続けるほどの感情として描かれるのは、結局いつも強烈な恨みや憎悪だったりする。
結局、この映画から学べること自体はものすごく単純で、「悪いことをすれば仕返しされる」「くだらない悪ふざけをするな」という、小学生でも分かるような話だった。
ただ、それ以上に最後まで一貫していたのは、「アホが物語を作り、憎しみがその物語を走らせる」ということ。
フラーがまともな人間だったら、この映画は始まってすらいないのだから。






