【映画】マー -サイコパスの狂気の地下室-(2019)|つまらない…そこまでサイコパスではない。タイトルが作品を邪魔してる【ネタバレ考察】

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映画『マー -サイコパスの狂気の地下室-』をイメージした画像 アメリカ映画

2019年に公開された映画『マー -サイコパスの狂気の地下室-』。

『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』などで知られるテイト・テイラーが監督を務め、オクタヴィア・スペンサーが高校生たちへ異常な執着を見せるスー・アンを演じる。

邦題が作品を邪魔するってことはたまにあるけど、本作もまさにそれです。

本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。

基本情報




作品名:マー -サイコパスの狂気の地下室-
原題:Ma
公開年:2019年
製作国:アメリカ合衆国
上映時間:99分
監督:テイト・テイラー
脚本:スコッティ・ランデス、テイト・テイラー
原作:―
出演:オクタヴィア・スペンサー、ダイアナ・シルヴァーズ、ジュリエット・ルイス、ルーク・エヴァンズ、マッケイリー・ミラー、コーリー・フォーゲルマニス、ジャンニ・パオロ、ダンテ・ブラウン
ジャンル:スリラー/ホラー

あらすじ




映画『マー -サイコパスの狂気の地下室-』をイメージした画像

夫との離婚を機に、娘マギーと故郷へ戻ってきたエリカ。新しい高校に通い始めたマギーは友人たちと親しくなり、ある日、酒を購入してくれる大人を探していたところ、中年女性スー・アンと出会う。

やがてスー・アンは、自宅の地下室を若者たちのパーティー会場として開放する。酒を用意し、自由に遊ばせてくれる彼女は「マー」と呼ばれ、高校生たちから慕われるようになる。しかし、マギーたちは次第にスー・アンの異常な執着と支配欲に違和感を覚え始める。

スー・アンが彼らへ近づいた背景には、自身の高校時代に受けた屈辱と、マギーたちの親世代に対する長年の恨みが隠されていた。

定番の展開が退屈




本作は酒を買ってくれたり、自宅の地下室を高校生たちの溜まり場として提供したり、一見すると親切そうな中年女性マーが、実はかなり危険な人物だったという話。

この設定自体はホラーやスリラーではかなり定番。

「一見いい人そうな人間ほど実はヤバい」というのは、それこそ映画の「いろはのい」みたいなもの。あらすじを読んだ段階で、マーが普通の親切なおばさんではないことくらい赤子でも想像できる。

だから自分が期待していたのはその先だったが最後まで見ても特に驚きはない。

むしろ終盤になると脚本の都合まで気になってくる。

高校生たちはすでにマーを気味悪がり、明らかに距離を置こうとしていたのに「友人の誕生日パーティーだから」という理由でまたマーの家へ全員で集まり、地下室で騒ぎ始める。

WHY?

もう「この人なんかおかしい」と分かっていたはずなのに、場所を使えるからというだけで再びその家に行く心理が自分にはまったく理解できない都合良すぎだろ。

高校生たちが自然に行動した結果、惨劇が起きたというより、「終盤の惨劇を成立させたいから、とりあえず全員マーの家に戻しました」という脚本上の都合に見えてしまう。

こういうところでキャラクターの行動に納得できなくなると、一気に作り物っぽく見えてしまう。

邦題が作品を邪魔してる




そしてこの映画で一番気になったのが邦題。

原題はシンプルに『Ma』。

それが日本では『マー -サイコパスの狂気の地下室-』となっている。

ここまで「サイコパス」「狂気」と強烈な言葉を並べられたら、自分としては相当なものを期待してしまう。

理解不能な人間。共感性が著しく欠けていて、何をするのかまったく読めない。精神的にゾクゾクするような、底の見えない狂気。

自分が「サイコパス映画」と聞いてイメージするのは、『ムカデ人間』のドクターのような、他人を人間として見ているのかすら分からない人物だったりする。

でもマーはそこまで理解不能な人物ではないし、むしろ彼女には非常に分かりやすい動機がある。

高校時代に仲間外れにされ、さらに性的な屈辱を伴う悪質ないじめを受け、その恨みをずっと抱えている。そして大人になった現在、かつて自分を傷つけた人間たちや、その子供たちへ復讐していく。

男の子の腹にアイロンを押し当てたり、女の子の口を針と糸で縫ったり、男性の性器を切断しようとしたりするなど確かに嫌な描写はあるものの。自分が期待した「サイコパスの恐怖」とはちょっと違う。

性器を本当に切断したら凄いなと思ったけど、結局やらないんかい。

そして問題はグロさの量だけではない。

マーの行動には「過去にこういうことをされたから復讐している」という一本の理由があるため、自分には底知れないサイコパスというより、長年抱えてきた恨みとトラウマが、とんでもない方向まで行き切ってしまった人間くらいなのだ。

だからこそ、この邦題が作品への期待を完全に違う方向へ持っていってしまっている。

まさに邦題が作品の邪魔をしてしまう残念なパターンだ。

「サイコパスの狂気の地下室」なんて付けなければ、最初から一人の女性の復讐劇として見ることができたのに、この副題によって必要以上に「サイコパス映画」としてのハードルを上げてしまっている。

タイトル付けた人はちゃんと映画を見て、このタイトルを付けたのかな?なんだかやっつけ仕事にしか思えない。

狂気の底が浅い




マーが高校生たちに最初から親切だった理由も、最後まで見れば分かる。

彼女は自分が学生時代に送ることのできなかった青春を、彼らの中へ入り込むことで疑似的にやり直している部分もあるし、同時に、自分を傷つけた世代の子供たちへ接近するためでもあった。

ただ、そこまで分かりやすいからこそ逆に怖さが薄い。

彼女が何を考えているのか分からないわけではなく、なぜこんなことをするのかも理解できる。

理解できちゃサイコパスじゃないのよ。

過去の屈辱があって、恨みがあって、復讐したい。かなり一直線である。

本作はマーの過去を説明すればするほど、逆に彼女の行動原理が見えてしまう。

しかも物語自体にも大きな裏切りはなく、終盤にはキャラクターを無理やり地下室へ戻したようなご都合主義まで感じてしまった。

邦題を外して見たとしても、自分としてはそこまで面白い作品ではなかった。

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