【映画】僕だけがいない街(2016)|ひどい…都合良すぎなやり直し展開・王道過ぎる犯人像・いいとこなし【ネタバレ考察】

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映画『僕だけがいない街』をイメージした画像 SF

2016年に公開された映画『僕だけがいない街』。

三部けいの同名漫画を原作に、平川雄一朗監督が実写映画化した日本映画。主演は藤原竜也、共演に有村架純。

事件直前へ時間が巻き戻る「再上映」という能力を軸に、現在の母親殺害事件と18年前の連続誘拐殺人事件を結びつけながら、過去を変えようとする主人公の奔走を描くミステリー・サスペンス。

うーん、色々と都合がいい設定のまま物語が進むので難しいね。

本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。

基本情報




作品名:僕だけがいない街
原題:僕だけがいない街
公開年:2016年
製作国:日本
上映時間:120分
監督:平川雄一朗
脚本:後藤法子
原作:三部けい『僕だけがいない街』
出演:藤原竜也、有村架純、鈴木梨央、森カンナ、林遣都、安藤玉恵、淵上泰史、高橋努、及川光博、福士誠治、杉本哲太、石田ゆり子
ジャンル:ミステリー、サスペンス、SF、ドラマ

映画『僕だけがいない街』をイメージした画像

売れない漫画家の藤沼悟は、事件や事故が起こる直前へ時間が巻き戻る「再上映(リバイバル)」という特殊な能力を持っていた。ある日、母・佐知子が自宅で何者かに殺害され、悟自身が容疑者として追われることになる。

母を救いたいと強く願った悟は、それまで経験したことのない長期間の「再上映」によって、18年前の1988年へと戻る。そこは、同級生の雛月加代らが犠牲となった連続誘拐殺人事件が起きた時代だった。悟は母の死と過去の事件がつながっていると考え、子どもの姿のまま未来を変えるために行動を始める。

全てが不自然




藤原竜也演じる藤沼悟が、悪い出来事が起きる直前へ戻る「リバイバル」という能力によって過去をやり直していく物語。

まず引っかかるのが、母親が何者かに刺された直後の悟の行動。

母親を発見し、犯人らしき人物を追って家の外へ飛び出すんだけど、悟の手には母親の血が付いていて「このままでは自分が犯人だと思われる」と考えたのか、なぜか警察から隠れようとする。

そして警察官に見つかったら今度は逃げる。

逃げたら余計に犯人だと思われるだろうが。

「母親が刺されました。犯人らしき人物を追っていました」と説明すればいいだけじゃないのか。

まだ序盤20分くらいなのに、主人公を逃亡者にするために本人がわざわざ怪しい行動を取っているように見えて、ここからちょっと物語の都合を感じる。

そこから悟はリバイバルによって小学生時代へ戻る。

過去には雛月加代が誘拐され、殺される事件があった。現在で母親を殺した犯人と、過去の事件の犯人がつながっているのではないか。

ならば加代を救えば、母親の死も防げるかもしれないというわけである。

ただ体は小学生なのに頭の中は大人の悟は『名探偵コナン』状態だけど、これがダルイ。

子役なので演技力もないし、子供パートが長いので、ずっと子役の名探偵コナンを見せられているようなものだ。

「リバイバル」のルールが曖昧すぎる




リバイバルのルールがめちゃめちゃ曖昧で、過去へ戻っているのは悟の精神だけなのか、それとも時間そのものが巻き戻り、本当に人生をやり直しているのか。

過去を変えたら、それまで存在していた未来はどうなるのか。この能力は悟だけなのか、なぜ大人になった今のタイミングなのか。

漫画原作なんだけど、そういうことは全てすっ飛ばして描いてるから映画化にしてもこの辺に答えは出せないだろうけど、自分としては観ていて物凄くモヤモヤする。

悟は加代を母親の虐待から切り離し、救うことに成功する。そして現代へ戻ると、片桐愛梨との関係が変わっている。

愛梨が悟とのことを覚えていないというか、そもそも二人の間にあった出来事自体がなかったようになっている。

過去を変えたことで未来も変わった。

でも悟本人には元の未来で経験したことの記憶が残っている。

じゃあ新しく書き換わった未来で悟がどう生きてきたのか、その記憶はどこへ行ったんだ?

さらにもう一度リバイバルが起こり、「真犯人を捕まえなければ母親を救えない」という流れになる。

失敗したらまた戻れるのか。いつ戻るかは誰が決めているのか。何度までやり直せるのか。

本来の未来Aがあって、悟が行動することで未来A’になるとして、最終的に犯人を捕まえる未来が成立するなら、その間の因果関係はどうなっているのか。

こういうタイムパラドックス系の話って、真面目に考え始めるとどんどん辻褄が気になってくる。

なので本作って真面目に考えるだけバカをみるんです。だってそこまで練られて作られていないから。

ゲーム的なSF設定として割り切るにこしたことはない。

教科書通りの犯人




「犯人は及川光博演じる八代先生でした」というのは、もうミステリーの超王道の展開。

一番身近にいて、親切で、主人公の味方に見える。

「そういう人間が実は犯人でしたパターン」で教科書に書いてあるような展開。

このパターンって何回やるのかね?途中からわかってしまうよ。

「親切なやつほど怪しい。たぶん八代先生だろうな」と思っていたら本当にそのままだった。

ラストでは悟と八代先生が、なぜかわざわざ屋上で対峙する。

出ました屋上。

最後になると犯人と主人公がわざわざ高いところへ行って、真実を語り合うってお決まりのパターン。

なんで屋上なんだろう。

エレベーターの中、どんな空気だったんだよ。

しかも最終局面では、八代先生がナイフで悟の首を斬りつける。

そこへ警官たちが一斉にやってくるんだけど普通ならその瞬間にナイフを持ってる八代先生を取り押さえるだろう。

被害者が刺されていて、犯人が刃物を持っているんだから。

ところがなぜか警官は悟がしゃべり終わるまで待っている。

いや、早く取り押さえろよ。

こういうところが、とにかく野暮ったい。

教科書通りのサイコパス像




八代先生の殺人動機として「子供たちを解放する」といったようなことを語るけど、かなりざっくりしてね?

何から解放するのか。なぜ殺すことが解放になるのか。なぜ子どもを狙うのか。

八代先生の中で、どういう思想が積み重なって殺人へ至ったのかほとんど見えてこない。

もちろん子供を殺す時点で、まともな人間ではないのでサイコパス設定にするのが手っ取り早いんだけど都合いいなぁ。

加代を救ったことで未来が変わると、今度は加代が生きていて妊婦になっているけど、一瞬、悟との子?と思ってしまったけど違ったのね。

さらに悟はなぜか漫画家として成功している設定もよく分からない。じゃあ漫画家として成功していなかったのは八代先生のせいだったの?

なぜ漫画家として成功する未来まで都合よく成立しているんだ。

ここまで来ると、もうリバイバルの設定そのものを深く考えない方がいい映画なんだろうなと思った。

ミステリーとして見ても王道すぎて驚きがないし、SFとして見てもルールが曖昧。

結果として全体的に野暮ったい作品に見えてしまった。

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