2017年に公開された映画『22年目の告白 -私が殺人犯です-』。
韓国映画『殺人の告白』(2012年)を原作とするサスペンス映画で、時効成立後に殺人犯を名乗る男が現れるという斬新な設定を軸に、事件の真相と複数のどんでん返しを描く。
公訴時効という法律の仕組みや、その制度が抱える理不尽さ、そして法律と正義の間で揺れる被害者遺族や警察の葛藤を丁寧に描いているんだけど、ぶっちゃけ藤原竜也を起用した時点で予想できちゃうんです。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:22年目の告白 -私が殺人犯です-
原題:Memoirs of a Murderer
公開年:2017年
製作国:日本
上映時間:117分
監督:入江悠
脚本:平田研也、入江悠
出演:藤原竜也、伊藤英明、夏帆、野村周平、石橋杏奈、龍星涼、早乙女太一、仲村トオル、岩城滉一 ほか
ジャンル:サスペンス、ミステリー、クライム
あらすじ

1995年、東京で5件の連続絞殺事件が発生する。刑事・牧村航は犯人を追い詰めるものの取り逃がし、事件は公訴時効を迎えて未解決となる。
それから22年後、「私が殺人犯です」と名乗る曽根崎雅人が自伝を出版し、一躍時の人となる。警察は法律上、彼を逮捕できず、被害者遺族や世間は大きく揺れ動く。しかし、その告白の裏には誰も予想しなかった真実が隠されていた。
「時効」とは何なのか。本作は法律そのものをテーマにしたサスペンス
本作は、時効が成立した後に連続殺人犯を名乗る男が現れるという設定から始まる。
そもそも「時効」とは何なのかということ。
刑事事件における公訴時効とは、犯罪から一定期間が経過すると犯人を起訴できなくなる制度。
その理由は、時間が経てば目撃者の記憶が曖昧になり、証拠も失われ、正確な事実認定が難しくなるからだ。
もちろん、100年も経てば犯人が亡くなっている可能性もある。永久に事件を追い続けることは現実的ではない。そのため、時効という制度には一定の合理性がある。
しかし、本作は時効成立後、「私が殺人犯です」と名乗る男が現れ、自らの犯行をまとめた本を出版する。法律上はもう逮捕も起訴もできないため、警察は手を出すことができない。
『さまよう刃』でも「復讐は犯罪か」というテーマで感じたことだけど、人間が決めたルールの上で我々人間は生きているので、時に感情を捨てないとやっていけない不条理さや、歯がゆさがってあるんだよね。
藤原竜也への違和感
序盤から気になったのが、藤原竜也演じる曽根崎雅人の見た目が若いということ。
もともと藤原竜也って童顔だから22年前の連続殺人事件の犯人という設定が合わないんだよね。
もっと年とってる人が犯人として出てくるならわかるけど、藤原竜也じゃ若すぎるんだよね。だからすぐに気づいた。
こいつは犯人じゃないと。
「まだ足りない」というセリフも伏線となっていて、彼が真犯人じゃないと気づく人は結構いるのではないかな?
だけど彼は牧村の妹の彼氏なので、やっぱりそんなに歳とっちゃまた合わなくなる。
だから本作品って映像化するとどうしても無理が生じてしまう。これは小説の方がその辺ごまかせるんじゃないかな。
というか顔を整形したって、やっぱり見た目はよくしたかったんだね。
そんなに衝撃的な結末でもない件
自分でも予想できる程度では、サスペンスとしての驚きは弱いしもっと斜め45度からひっくり返されるようなどんでん返しが待っていることを期待していたが、やはり曽根崎は本物の犯人ではなかった。
終盤で明らかになった真犯人は、仲村トオル演じる人気キャスター。
正直、ここは意外性のための意外性を狙ったようにも感じたしそんなに驚きがなかったかな。
しかし本作で興味深かったのは犯人の正体ではなく、「時効」が成立していなかったというトリック。
鍵になったのは自ら提供してきた映像内にある東京タワー。
東京タワーは午前0時を過ぎるとライトアップが消灯する。
事件当日の映像にはその東京タワーが映っており、犯人は事件を時効成立前に起こしたつもりだったが牧村の妹・里香が殺害されたのは日付が変わった後だった。
つまりこの事件は公訴時効が成立していなかったのである。
さらに皮肉なのはその証拠を残したのが犯人自身だったこと。
「映像を残しておく」という設定を上手く活用したトリックではあるが、映像を残しておく犯人っていうのもなんだか都合がいいなと思ってしまった。
法律は本当に正義なのか?
本作を見終えて最も印象に残ったのは、「時効」という制度の理不尽さ。
里香が午前0時の数分後に亡くなっていたから時効じゃなかったわけで、もしも数分前だったら時効だった。
たった数分の違いで、人を裁けるかどうかが決まってしまうというのは恐ろしい。
法律は白か黒かではなく、「時間」という一本の線によって判断されてしまうのがめちゃめちゃ理不尽さを感じた。
時効が成立していた場合、犯人は法律上は一般人になり、その一般人を遺族が殺害すれば、今度は遺族側が殺人罪で裁かれてしまう。
この矛盾は非常に考えさせられた。
本作は、どんでん返しを楽しむサスペンスであることはもちろんだが、それ以上に「法律とは何か」「正義とは何か」を観客へ問いかける作品だった。






