2001年に公開された映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』。
子供向け映画というのは、結局いかに大人まで巻き込めるかが一つの勝負だと思う。
子供に「見たい」と言われて映画館まで連れて行った親を、どれだけ感動させることができるか。
自分は『クレヨンしんちゃん』の映画をすべて見ているわけではないけれど、その中でも一番好きなのが本作だ。
だってこの映画、完全に確信犯で大人を狙っているからだ。
子供たちに誘われて嫌々観に行った父親たちが号泣した伝説の作品。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲
原題:―
公開年:2001年
製作国:日本
上映時間:89分
監督:原恵一
脚本:原恵一
原作:臼井儀人『クレヨンしんちゃん』
出演:矢島晶子、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、津嘉山正種、小林愛
ジャンル:アニメ/コメディ/ドラマ
あらすじ

春日部に、20世紀の懐かしい街並みや文化を再現したテーマパーク「20世紀博」がオープンする。大人たちは昭和の懐かしさに夢中になり、しんのすけの父・ひろしと母・みさえも次第に子供のようになっていく。
やがて20世紀博を運営する秘密組織「イエスタデイ・ワンスモア」が、大人たちを過去の世界へ連れ戻し、21世紀を終わらせようとしていることが判明。両親を取り戻し、未来を守るため、しんのすけたちカスカベ防衛隊は20世紀博へと向かう。
伝説の3分の回想シーン
主人公はもちろん野原しんのすけなのだが、この作品における真の主人公は父親の野原ひろしだと思う。
何よりすごいのが、ひろしの人生を振り返る約3分の回想シーン。
故郷で暮らしていた若い頃から始まり、やがて上京して社会人になる。新入社員として毎日のように怒られ、仕事に追われ、それでも働き続ける。
そしてみさえと出会い、結婚して、しんのすけが生まれる。
気づけばひまわりもいて、野原家は4人家族になっている。
たった3分ほどなのに、一人の男が少年から青年になり、社会人になり、恋をして、結婚して、父親になっていく人生が一気に流れていく。
そしてこの3分をつないでいる一つの象徴が「チャリンコ」だ。
若い頃のひろしは父親のチャリンコの後ろに乗っている。やがて一人でチャリンコを走らせ、彼女との帰り道でもチャリンコがある。
そして父親になったひろしも家族を乗せてチャリンコを走らせている。
乗り物は同じなのに、その上にいるひろしの人生だけが変わっていく。
この演出が非常に素晴らしい。チャリンコ一つで、時間の流れと人生の積み重ねを表現しているのが本当にうまい。
しかもひろし自身の子供時代と、現在のしんのすけたちとの時間が重なるように見える演出。
これは野原ひろしだけの人生ではない。
全日本人に通じるような普遍的な3分になっている。
この回想シーンを支えている浜口史郎による音楽がまた素晴らしく、あのスコアが重なることで一気に感情を持っていかれる。
本作にはもちろんほかにもさまざまなテーマがあるがこの野原ひろしの3分だけでも、この映画を見る価値は十分にあると言える。
「しんちゃんであって、しんちゃんじゃない」
今では名作として語られる本作だが、完成当初の試写では、お偉いさんや出資者たちからかなり厳しい反応があったらしい。
「こんな不愉快な映画は初めて見た」
そんな趣旨のことまで言われたという。
「この映画を見て感動しないのかよ」と思ってしまうが、なぜそういう反応になったのかを考えると、なんとなく分からなくもない。
確かにこの映画、しんちゃんであって、しんちゃんじゃないからだ。
普段の野原しんのすけといえば、とことん下品で、バカで、ふざけている。
ところが映画になると、家族のために必死になり、最後には傷だらけになりながら階段を駆け上がる。
ものすごく真っ直ぐで、いい子なのだ。
これはしんちゃんなのか?
もちろん人間は一面的ではないのでここにどうこう言うのは野暮なのはわかっている。
この現象は、『ドラえもん』におけるジャイアンにちょっと似ていると思った。
普段のテレビアニメのジャイアンなんて、基本的には横暴ないじめっ子だ。
「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」みたいな、力を持っている奴が一番偉いという存在。
ところが映画になると急に男気を見せはじめ、映画版ジャイアン、人格変わりすぎ。
『オトナ帝国の逆襲』のしんのすけにも、似たところは確かにあって、「しんちゃんの顔をかぶっているけれど、これって本当に普段のしんちゃんか?」という違和感はある。
極端な話、この物語は別にしんちゃんじゃなくても成立したのではないか、という見方だってできると思う。
でもね、むしろみんなが知っている「野原家」だったからこそ、この作品はこれだけ分かりやすく感情に入ってくるのではないか。
父親のひろしがいて、母親のみさえがいて、しんのすけがいて、ひまわりがいる。
普段から見慣れている野原家という家族があるからこそ、「父親になるまでの人生」や「家族を守る」というテーマが強烈に刺さると思う。
『クレヨンしんちゃん』という普段は下品でバカなギャグ作品だからこそ、そのキャラクターたちにここまで真正面から人生や家族を背負わせる意外性がある。
だから「しんちゃんらしくない」という批判は理解できるが、その「らしくなさ」こそがこの映画の強さでもある。
『クレヨンしんちゃん』という作品と野原家をうまく利用して、大人の人生そのものを描いてしまった。
僕はそれで十分だと思う。
足の臭いは頑張ってきた証
そして本作を語るうえで、野原ひろしの「足の臭い」は外せない。
作中では、ひろしが自分の足の臭いによって記憶を取り戻すという、いかにも『クレヨンしんちゃん』らしい下品なギャグに見える。
しかしこれが意外と深い。
ひろしの足が臭いのは、仕事を頑張ってきたからなんですよね。
3分の回想でも描かれていたように、暑い夏の日にも汗をかきながら取引先へ向かって、夜遅くまで働く。
くたくたになって電車に揺られ、眠ってしまいそうになりながら家へ帰る。
全部、家族のために働いてきた日々だ。
だから「足が臭い」というのは、単に不潔だという話ではなく、その臭いは、ひろしが毎日必死になって働いてきた生活の証でもある。
家族のために頑張ってきたから臭い。
そう考えると、普段はギャグとして扱われている「ひろしの足の臭い」まで、この映画では一人の父親の人生につながってくる。
そして、本作のもう一つの大きなテーマが「昔は良かった」という回顧主義。
自分は実は昔に戻りたい、昔の方がよかったと思ったことがない。
それは今が一番人生で充実しているからだ。
過去にはどうしてもバイアスがかかる。
「昔の方が良かった」と強く思っている時点で、その人は今の人生に満足できていないんじゃないかと思う。
もちろん過去を振り返ること自体は悪くない。
しかしどれだけ過去を懐かしんでも、明日は来る。
だったら最後には前を向いて歩くしかない。
そこで流れる吉田拓郎の「今日までそして明日から」という曲も、このテーマにものすごく合っている。
僕らが実際に生きることができるのは、過去ではなく未来なのだ。
本作は、懐かしい昭和を徹底的に魅力的に描きながら、それでも最後には「そこへ戻るんじゃなくて、前へ進もう」と言っているような気がする。
人生経験が増えれば増えるほど、自分にも振り返りたい過去が増えていく。
そういうものをたくさん持っている人ほど、この映画はえぐってくるのかもしれない。





