【映画】四月になれば彼女は(2024年)│意味がわからない人へ、弥生の行動をわかりやすく解説します【ネタバレ考察】

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映画『四月になれば彼女は』をイメージした画像 ラブストーリー

2024年に公開された映画『四月になれば彼女は』。

本作は、川村元気によるベストセラー恋愛小説を映画化した作品。

主人公の藤代を佐藤健、婚約者の弥生を長澤まさみ、かつての恋人・春を森七菜が演じる。監督はMVやCM演出で知られる山田智和で、本作が長編映画監督デビュー作となった。

物語は過去の恋愛と現在の恋愛を行き来しながら、「愛はなぜ終わるのか」「愛を続けるとは何か」というテーマを描いている。

本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。

基本情報




作品名:四月になれば彼女は
原題:April Come She Will
公開年:2024年
製作国:日本
上映時間:108分
監督:山田智和
脚本:木戸雄一郎、山田智和、川村元気
原作:川村元気『四月になれば彼女は』
出演:佐藤健、長澤まさみ、森七菜、仲野太賀、中島歩、河合優実、ともさかりえ、竹野内豊
ジャンル:恋愛、ドラマ

あらすじ




映画『四月になれば彼女は』をイメージした画像

結婚を目前に控えた精神科医・藤代俊のもとに、かつて恋人だった伊予田春から手紙が届く。ボリビアやチェコ、アイスランドなど世界各地から送られてくる手紙には、二人が過ごした青春時代の記憶が綴られていた。

その頃、婚約者の坂本弥生は「愛を終わらせない方法、それは何でしょう?」という言葉を残して突然失踪してしまう。過去の恋人から届く手紙と現在の婚約者の失踪が交錯する中、藤代は愛の本質と向き合うことになる。

共感できなかった弥生の恋愛観




本作を観て正直一番共感できなかったのが長澤まさみ演じる弥生というキャラクターだった。

彼女は「愛が終わること」を異常なまでに恐れている女性。過去には好きでもない男性との結婚を決意し、招待状まで発送したにもかかわらず、結婚直前で破談にしているまぁまぁやべぇ女。

つまり弥生は、誰かを本気で愛して失うことを恐れるあまり、恋愛そのものから逃げ続けている人物として描かれているのだ。

劇中では「愛を終わらせない方法は何か」という問いが繰り返される。しかし弥生よ、違うんだよ。

そもそも愛というものは、始まるとか終わるとかいうものではなく、二人で育てていくものなんだよ。ってクサいですか?笑

失うのが怖いから最初から手に入れない。傷つくのが怖いから距離を取る。それでは結局一生幸せにはなれんよ?

象徴的なのが、冒頭で二人の思い出のグラスが割れるシーン。

弥生にとっては大切な思い出だったグラス。しかし佐藤健演じる藤代は、それを片付けてゴミ箱へ捨てる。もちろん現実的には当然の行動なのだが、弥生はそこに違和感を覚えたのだろう。

「私は大事に思っていたのに、この人はそうじゃないんだ」

その小さな温度差が、弥生の中では大きな不安へと変わっていく。

果たしてこの人でいいのか。この人と人生を歩めるのか。

そうした迷いが積み重なった結果として、彼女は姿を消してしまう。

いや、重いから。無理。観客によっては理解できる部分もあると思うが、自分としてはどうしても共感しづらいキャラクターだ。

タイトルの意味とは?




『四月になれば彼女は』というタイトルは、一見すると抽象的な恋愛映画のタイトルに見えるが、元恋人・春を指していることが分かる。

そもそも春という名前自体がスプリングそのものだ。藤代と春が出会ったのも桜の季節。そして藤代の心の中には、ずっと春という存在が残り続けていた。

劇中で印象的なのが、弥生が「なんでそんなに引っ越しを急いだの?」と問いかけるセリフに対して藤代は「もっと春を好きになってほしかったから」と答えるシーン。

もちろん藤代本人は未練があるつもりではないが無意識のうちに春という存在を大切な思い出として抱え続けている。

一方で春と弥生は、実は正反対の存在として描かれている。

春は藤代を心から愛していた。だから本当は一緒になりたかったが父親の反対という外的要因によってその恋は終わってしまう。

対して弥生は違う。

彼女は藤代を嫌いになったわけではないが、しかし愛が終わることへの恐怖や、自分自身の不安によって自ら距離を取ってしまう。

つまり春は「愛していたのに結ばれなかった人」で、弥生は「愛しているのに踏み込めない人」。

同じようにうまくいかない恋でも、その理由はまったく違うのである。

だからこそ弥生は失踪した後、春がいる緩和ケア施設へ向かったのだろう。

自分にはないものを知るために。

人を真っ直ぐ愛するとはどういうことなのか?失うことを恐れず誰かを好きになるとはどういうことなのか?

その答えを知りたくて、春という女性を訪ねたのではないだろうか。

『四月になれば彼女は』というタイトルは、単なる季節を表しているのではなく、藤代の心の中に残り続けた春という存在、そして弥生が最後に向き合わなければならなかった「愛そのもの」を象徴するタイトルだったように思う。

ラストの意味とは?




そう考えると、弥生はただ面倒くさい女性として描かれているわけではなく、むしろ彼女は、彼女なりにちゃんと前に進もうとしていたのだろう。

春と会うことで自分にはないものを知ろうとしたのではないだろうか。

だから弥生の失踪は単なる「逃避」ではなく、弥生本人にとっては自分の中にある恐怖と向き合うための時間だったのだろう。

そして藤代もまた、弥生からの手紙によってようやく彼女の気持ちに寄り添い始める。これまで恋人として一緒にいたはずなのに、彼は弥生の不安や結婚への怖さを本当の意味では理解していなかったのかもしれない。

ラストでは帰り道で「今日、何の映画見る?」とな何気ない会話で終わるラストは、おそらく二人が特別な答えを見つけたというより、日常を取り戻したことを示しているのだろう。

しかし登場人物たちは重いのに映画的には結構あっさりライトな描き方してるからそのギャップがあるかな。

佐藤健演じる藤代もイケメンなだけで人としての中身があまり見えてこない。

むしろ印象に残ったのは、仲野太賀演じるバーテンダーのタスク

おそらくLGBTの人物として描かれており、一人で生きていくことを選んだ人間だからこそ、藤代や弥生の関係を少し違う角度から見ている。

「もうちょっと格好悪い本来の自分を、弥生ちゃんに見せてあげたらよかったね」というようなセリフはかなり本質を突いていたんじゃないかな。

藤代は弥生と結婚も考えていたけど本当の意味では彼女に向き合えていなかった。弥生が求めていた結婚像や、彼女が抱えていた不安に対して、藤代はどこか鈍感だったことをタクスも悟ったのかも。

海外ロケの映像は確かに綺麗だった。ボリビアやチェコなど、世界各地の風景は美しいし、映像作品としての見栄えはあるが、必要だったかな?

物語の芯に対してそれがどこまで効いていたのかは少し疑問だった。

全体を通して伝えたいことは伝わったけど、人物への共感や物語の熱量がもう少し欲しかったというのが正直な感想でした。

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