2013年に公開された映画『藁の楯』。
木内一裕の同名小説を原作に、『十三人の刺客』『悪の教典』などで知られる三池崇史監督が映画化したアクション・サスペンス。
藤原竜也演じる凶悪犯はゲス過ぎてクレームがくるほどになった。
第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門にも正式出品された。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:藁の楯
原題:藁の楯(WARA NO TATE)
公開年:2013年
製作国:日本
上映時間:125分
監督:三池崇史
脚本:林民夫
原作:木内一裕『藁の楯』
出演:大沢たかお、松嶋菜々子、岸谷五朗、伊武雅刀、永山絢斗、藤原竜也、山﨑努
ジャンル:アクション、サスペンス、スリラー
あらすじ

「この男を殺してください。名前・清丸国秀。お礼として10億円お支払いします。」という新聞広告が全国紙に掲載される。少女を殺害した凶悪犯・清丸国秀を福岡から東京まで護送する任務を命じられたSPたちは、10億円を狙う無数の人々から命を狙われながら護送を続ける。
設定の良さだけ
本作は設定だけはいい。
少女を殺害した清丸に対し、被害者の祖父であり財界の大物・蜷川隆興が「殺した者には10億円を支払う」と宣言する。
しかも実際に殺せなくても殺害を試みただけで1億円が支払われるという。
これによって日本中の人間が清丸を狙うようになる。
一般市民が敵になるかと思われたが、一番怖いのが訓練された警察である。そしてSPたち。
つまり一番近くにいる護衛こそが最大の脅威になり得る。
誰を信用していいのか分からない緊張感は、この作品ならではの魅力で観客を疑心暗鬼にさせる作りは非常に上手い。
だがこの設定はあまりにゲーム的であり、実際に話が進んでいくといくつもボロや粗さが目立っていたように思える。
アクションを優先しすぎて設定に無理がある
一番気になったのが護送方法。
整備士が清丸を殺害しようと飛行機に細工をしたことで、飛行機での輸送を断念。
飛行機が使えなくなったから陸路になるんだけど、ヘリコプターをなぜ使わない?
パトカーの上に立って拳銃をぶっ放す警察官。
画としてはカッコいいのかもしれないが、「こんな画、カッコいいでしょ?」感が鼻についてしまった。
どうしても「ここで見せ場を作りたい。」「ここで派手なアクションをやりたい。」という演出ありきで話が進んでいるようにしか見えない。
もちろんアクション映画なのだから派手なシーンは必要だが、そのための理由付けが弱く説得力に欠ける。
私はアクション映画は多少現実離れしていても構わないと思っている。
問題はリアリティではない。納得できる積み重ねがあるかどうかだ。
ホラー映画だってそうだ。
『リング』の貞子がテレビから出てくるなんて現実にはあり得ない。
それでも怖いのは、そこへ至るまでの積み重ねがしっかりしているからだ。
その説得作業に力を入れていれば、少々のご都合主義でも気にならないものだ。
この作品はその積み重ねよりも「かっこいい画」を優先してしまったがゆえに違和感でしかないのだ。特に三池崇監督は辻褄よりも勢いでみせるタイプの監督さんなので想定内ではあるが。
ラストまでグダグダ
東京の警視庁前に到着した際、孫を殺された大財界人の蜷川が目の前に現れ、仕込み杖の刀で清丸を殺そうと襲いかかるも清丸を護衛するため、銘苅が身を挺して清丸を守り、蜷川の刃を受けるラスト。
えー、なんでしょう。なぜこの場で蜷川が現れるのか?
銘苅はなぜ防弾チョッキを着てないのか?
刺された銘苅はなぜ最後生きてるのか?
白岩もプロのSPなのにあっさりと清丸に殺されてしまうし、女タクシー運転手はどこ行ったのかの説明ないし、岸谷五朗もそのあとの描写ないし、
相変わらず穴ぼこだらけの脚本です。
法律と人間の感情はここまで違うのか
清丸は最後まで反省することなく、つかまった後も裁判で「反省しています」と言いながら、
「どうせ死刑になるならもっとやればよかった」
と口にする最後まで救いようのないサイコパスだった。
そんな男のために多くの警察官が命を懸け、松嶋菜々子演じるSPも命を落とす。
こんな人間は途中で死んでもよかったと誰もが思うだろうが、それでは法治国家は成り立たない。
司法へ委ねることが正しい。
それも理解できるが人間の感情はそこまで割り切れないのも事実である。
ここで思い出したのが、竹野内豊主演の『さまよう刃』だった。
あの作品でも感じたが、日本の法律は犯罪者に対してあまりにも甘く見えてしまう。
銘苅は任務として清丸を五体満足のまま司法へ引き渡した。
それが彼にとっての勝利だったのかもしれないが、観客が求めている勝利とは異なる。
法律と人間の感情は=ではないのだ。
確かに法律がなければなんでもありの世の中になってしまうし、どこかで線引きしないといけないのも理解はできるが、人の感情はそんな簡単にわりきれるものではない。
だから本作、最後までモヤモヤが残ってしまうのだ。
銘苅が任務を全うしても観客は全くもって気持ちよくはない。
カタルシスはない
この作品は犯人を追う映画ではない。
すでに捕まっている極悪人を国の司法へ届けるだけの映画である。
たとえば極悪人ではなく、守らなければならない存在の護衛だったならまた気持ちも変わっていただろう。
しかし本作の清丸は殺されてもいいようなゲスである。
だから彼らが危険な状況にあったとしても特に同情しづらいのだ。
おかげで最後まで観ても物語として大きなカタルシスは得られない。
司法としての正しさと、人間の感情が求める報い。
その間にある大きなギャップだけが残る。






