【映画】シン・ゴジラ(2016)|ラストでなぜ凍ったのか?日本政府を描いた異色のゴジラ映画をネタバレ考察

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映画『シン・ゴジラ』をイメージした画像 SF

2016年に公開された映画『シン・ゴジラ』。

本作は、『新世紀エヴァンゲリオン』などで知られる庵野秀明が脚本・総監督を務め、樋口真嗣が監督を担当した2016年公開のゴジラ映画。

従来シリーズのような怪獣映画ではなく、「未知の巨大災害に対して日本という国家はどう対応するのか」をリアルに描いた政治ドラマとして高い評価を受けた。

これがやたらと東日本大震災を想起させる危機管理や行政の意思決定をテーマに据えており、ゴジラシリーズとしては屈指の異色作になっている。

本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。

基本情報




作品名:シン・ゴジラ
原題:Shin Godzilla
公開年:2016年
製作国:日本
上映時間:120分
監督:庵野秀明、樋口真嗣
脚本:庵野秀明
出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、大杉漣、余貴美子、市川実日子、國村隼、平泉成、柄本明 ほか
ジャンル:怪獣、SF、パニック、政治ドラマ

あらすじ




映画『シン・ゴジラ』をイメージした画像

東京湾で突如として謎の巨大生物が出現し、日本政府は未曽有の危機に直面する。前例のない事態に各省庁や政府機関は混乱し、意思決定が遅れる中、生物は急速な進化を遂げながら首都圏へ上陸。政府特命チームの矢口蘭堂は、国内外の専門家と協力し、人類存亡を懸けた対策に挑んでいく。

ゴジラではなく「日本政府」を描いた異色の怪獣映画




ゴジラは日本人にとって非常に身近な存在である。自分も1985年生まれなので、90年代に多く作られたゴジラ映画を映画館で観てきた世代である。

今では子どもと一緒に『ゴジラ-1.0』を観ることもあり、ゴジラという存在は世代を超えて受け継がれている国民的コンテンツなのだと改めて感じる。

そんな中で本作は、これまでのゴジラ映画とは明らかにベクトルが違う作品だった。ゴジラが突然現れるという基本構造は同じだが、本作で描かれているのは怪獣そのものよりも、日本という国が未知の災害にどう対応するのかという部分である。

2016年公開ということもあり、東日本大震災を強く意識したような描写も多い。ゴジラは怪獣というより、予測不能な巨大災害として現れる。そこで浮かび上がるのが、日本政府の意思決定の遅さだ。

「前例がない」「権限がない」「上の判断を仰ぐ」。誰も責任を取りたくないから決断が遅れていく。

この会議と承認の連続が、本作の大きな見どころになっている。従来のような「人類VSゴジラ」ではなく、「ゴジラという危機に対して日本の組織はどう動くのか」を描いた作品なのも新しい。

登場人物もやたらと多く、豪華俳優陣が惜しげもなく出てくる。

これ一体出演料だけでどんだけかかってんだ?ってくらい。

むしろこんなに多くのキャスト必要だったのかな。

演出もあえて個々の内面に深く寄り添わず、全員を組織の一部として描いているのも特徴だ。

つまり本作の主人公は一人の人間ではなく、日本というシステムそのものということになる。

エヴァンゲリオンと重なる庵野秀明の演出




本作を見ていて、多くの人が感じるのは『エヴァンゲリオン』との共通点だろう。ゴジラは突然現れる未知の脅威であり、その存在はエヴァにおける使徒にかなり近い。人間の都合とは関係なく現れ、社会のシステムを揺さぶっていく。

さらに、政府関係者たちが早口で専門用語を交わし、感情よりも状況説明と判断を優先していく演出も非常に庵野秀明らしい。

BGMや編集のリズムも含めて、かなりエヴァまんまなのである。というか、単に使徒がゴジラに置き換わっただけのように感じる。

一方で、石原さとみが演じるアメリカ帰りのキャラクターは少し浮いていたね。ところどころ英語を交える演出はちょっとこっちが観ていて恥ずかしくなるレベル。

ゴジラが凍結した理由




おそらく本作を観て多くの人が疑問に思ったであろう、ラストでなぜゴジラが凍結したのか?という問い。

クライマックスで行われたヤシオリ作戦は、ゴジラを爆発させたり、直接外部から攻撃で倒したりする作戦ではない。目的はゴジラの体内で稼働している「生体原子炉」を停止させ、活動不能に追い込むことだった。

これどういうことかと言うと、

ゴジラは生体原子炉が生み出す莫大な熱を、血液循環などの冷却機能によって制御していて、そこで大量の血液凝固剤を口から投与し、血液を固めることで体内の冷却システムを停止させようとしたわけだ。

ゴジラの血液ってどんな冷たいの?と思ったあなたにさらにわかりやすく答えよう。

人間でも運動をすれば体の中で熱が出る。その熱は血液によって全身を巡り、皮膚の近くまで運ばれていって汗や外気で逃がされる。

つまり、血液は「体内の熱」を別の場所へ運んで逃がすものである。

しかしまたここで疑問が生じる。

冷却機能を失った原子炉は暴走し、メルトダウン(さらにヒートアップ)を起こすはずだ

本作ではゴジラの生体原子炉が暴走を防ぐため、自らスクラム(緊急停止)を行ったと考えられている。

しかしだ、なぜスクラムすると凍結するほど急速に冷えるのか?という具体的な仕組みまでは映画内で明確に説明されていない

だっておかしくない?いくらなんでも凍るまで外気との違いがあったのか?

どのような冷却器官が働いたのか、なぜ凍結温度まで下がったのかという疑問に対しては明かされていない。

つまり、ヤシオリ作戦のメカニズムは「血液凝固剤→冷却停止→スクラム→凍結」までは読み取れるが、最後の仕組みは観客の考察に委ねられているのである。

これってどうなのよ・・・

おまけに最後の第五形態とかどうでもよくなってくる。

ゴジラじゃなくても良かった説




本作は怪獣映画を政治劇、災害対応劇として再構築した点は間違いなく面白いが、

ぶっちゃけゴジラでなくて良かったというのが正直な感想。

もちろん「日本という国の意思決定構造」を描くには、感情を排したドライな演出の方が合っているのはわかるが、ゴジラに対する愛情や、人間ドラマの熱量というよりも、どこか突き放した冷たさがあって根っからのゴジラファンはどう受け取ったのかな?

庵野秀明の作家性があまりにも強いため、ゴジラ映画というより庵野の災害映画として見えてしまう。

従来のゴジラ映画とはまったく違うが、まぁ、色んな監督の色んなゴジラも多様性なのでしょう。

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