2023年に公開された映画『君たちはどう生きるか』。
これが高い評価の意味がわからない。
公開前は予告編やストーリーをほとんど明かさない異例の宣伝手法でも話題となった。幻想的な世界を舞台に、生と死、喪失、継承といったテーマを描きながら、多くの象徴や比喩を散りばめた作品で、公開後はさまざまな考察が交わされた。
また、第96回アカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞するなど、国内外で高い評価を獲得している。
宮崎駿が作ったから評価されたのではないか?というくらい意味不明です。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:君たちはどう生きるか
原題:The Boy and the Heron
公開年:2023年
製作国:日本
上映時間:124分
監督:宮崎駿
脚本:宮崎駿
出演:山時聡真、菅田将暉、柴咲コウ、あいみょん、木村佳乃、木村拓哉、大竹しのぶ、竹下景子、風吹ジュン、阿川佐和子、滝沢カレン、國村隼、小林薫、火野正平
ジャンル:アニメーション、ファンタジー、アドベンチャー、ドラマ
あらすじ

太平洋戦争中、火災で母を亡くした少年・眞人は、父の再婚を機に田舎へ疎開する。新しい生活になじめない眞人は、屋敷近くに建つ謎の塔と青サギに導かれ、不思議な異世界へ足を踏み入れる。そこで母や家族、自分自身と向き合いながら、現実へ戻るための旅を続けていく。
宮崎駿のファンタジーに付き合いたくない
宮崎駿監督は2013年公開の『風立ちぬ』を最後に長編映画からの引退を発表したはずだ。
自身の創作スタイルが以前のような大衆娯楽から離れ、時代の流れを映し出す力が衰えたと感じていたことや、長期化する制作による年齢・体力面の負担などが引退理由として語られていた。
ただ、世間から見ればもう一つ理由があったようにも感じる。
それは作品が年々難解になっていったことだ。
『となりのトトロ』『天空の城ラピュタ』『風の谷のナウシカ』『魔女の宅急便』など初期の作品は、子どもから大人まで誰でも楽しめる分かりやすさがあった。
一方で後年の作品になるにつれ、「難しい」「何を言いたいのか分からない」という声も少なくなかった。
もちろん本人からすれば、自分が本当に描きたいものを追求した結果なのだろうが、その表現と観客が求めるものとの間には、少しずつギャップが生まれていたようにも感じる。
ところが引退発表から3年後、宮崎駿監督は引退を撤回。そして2023年、『君たちはどう生きるか』を完成させた。
それほど「どうしても描きたい作品だった」のだろうとその強い創作意欲が伝わってくる。
しかしだ、実際に本作を観た率直な感想として改めて「私は宮崎駿作品とは相性が良くない」と感じてしまった。
というより、宮崎駿作品が苦手なのではなく、自分はファンタジーというジャンルそのものがあまり得意ではないのだと思う。
これはディズニー作品でも、『ハリー・ポッター』でも同じ。
ファンタジーは作者が作り上げた世界のルールの上で物語が進んでいく。魔法が存在し、不思議な生き物がいて、現実にはない法則が当たり前として描かれる。その世界観に素直に入り込める人は、本当にその作品へ没入できるのだと思う。
一方で私は、「それは作者が決めたルールだから成立している世界だよね」と一歩引いて見てしまうタイプだ。現実世界との接点をどうしても探してしまうので、物語に入り込む前に冷静になってしまう。
だから本作が悪いという話ではない。
むしろ、ファンタジー作品を心から楽しめる人には高く評価される理由も理解できる。
ただ、自分には最後までその世界観へ没入することができず、「やはりファンタジーは自分には合わないジャンルなんだな」と改めて確信させられた作品だった。
説明不足が過ぎる
本作を観ていて一番感じたのは、とにかく説明不足だということ。
物語の中で次々と疑問が生まれるのだが、そのほとんどに答えが用意されていない。
例えば、なぜペリカンたちは主人公たちを襲ってきたのか?
あるいは、バンダナを巻いた女が主人公の傷を見て「私と同じだ。ヌマガシラにやられたんだ。食ってやったけどね」と口にする場面もある。
しかし、その「ヌマガシラ」とは何なのかが一切説明されない。
あたかもご存じのヌマガシラみたいな感じで突然セリフの中にぶち込まれてもこっちはヌマガシラを知らないから思考が一旦停止するのだ。
「まずそのヌマガシラを説明してくれ」と思ってしまった。
さらに、「手で石を触るな。私たちが来たことを望んでいない」「これで世界は一日は大丈夫」といったセリフも同じだ。
どれも意味深ではあるが、その意味を作品側が説明してくれることはほとんどない。これって作品としてどうなのよ?
あまりにも説明を省いているので考察の前にまず何が起きているのかを状況を説明してほしい。
私は前の見出しでも書いたように、ファンタジー世界へ自然に入り込めるタイプではない。
だからこそ「これは何なのか」「なぜそうなるのか」という最低限の説明がないと、その世界へ没入できないのだ。
意味深なセリフを積み重ね、「あとは想像してください」という演出が何度も続くため、正直かなり疲れてしまった。
宮崎駿監督の思想や人生観を深読みしながら観ることを求められているようにも感じたが、そこまで宮崎駿の思想に興味があるわけではないので、その作業自体が少し苦痛だった。
だから作品を楽しむというより、「理解しよう」と努力し続ける時間になってしまうのである。
初期の『となりのトトロ』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』などは、ファンタジーでありながら感情の流れや物語が非常に分かりやすかった。
だからこそ多くの人に愛される作品になったのだと思う。
一方で本作は、あえて説明を削り、象徴や比喩を積み重ねる構成になっている。
レビューを見ていると、「インコ王国はスタジオジブリの比喩」「インコ大王は鈴木敏夫氏」「墓の主は高畑勲氏を表している」といった考察も数多く見かけた。
もちろん、そうした読み解き方を楽しめる人には面白い作品なのだろう。
ただ私としては、「制作会社の内輪事情まで知らないと理解しづらい映画」になってしまうのであれば、それは少し観客を置き去りにしているようにも感じた。
ていうかそんな内輪揉めなんぞ知らんがな。という気分である。
分からないことを恥じるな
本作は完全に確信犯です。
しかも宮崎駿自身が「僕も分からない」と語っているではないか。
それ、ありなの?作り手が分からないものを、観客が見て簡単に分かるわけがないだろ。
もちろん、映画には余白が必要だ。すべてを説明しすぎる映画は野暮だし、観客が想像で補完する部分があるからこそ、映画を観る楽しさも生まれる。
ただ、本作はその余白が多すぎる。余白映画である。
あまりにも疑問が多く、細かい問いに対する答えがほとんど返ってこない。
もちろん本筋は分かる。
しかし、その過程で出てくる細部があまりにも説明されないため、感情移入する前に「これは何なのか」「なぜそうなるのか」と考える作業が先に来てしまう。結果として、物語に没頭できない。
『君たちはどう生きるか』というタイトルからも、「この映画をどう受け取るか」「ここからどう考えるか」は観客に委ねます、という作りなのだろう。
だから自分なりの答えを見つけられた人は、いくらでも語れる作品だと思う。
ただ分からなかった人が恥じる必要は全くない。そもそも分かるように作っていない映画だからだ。
ジブリが好きな人、宮崎駿の思想を読み解きたい人、作品の象徴を一つずつ解釈したい人には、非常に語りがいのある映画なのだと思う。
しかし、一本の映画として物語に入り込みたい自分にとっては、あまりにも余白が大きすぎた。結果として、考えるだけ無駄だと感じてしまった。
こっちも暇じゃないからもう時間さいてまで宮崎駿のオナニーに付き合っていられねぇ。







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