2018年10月19日に公開された日本映画『億男』。
映画プロデューサーで小説家の川村元気が2014年に発表した同名小説を原作とする。
監督は『るろうに剣心』シリーズなどを手がけた大友啓史。主演の佐藤健が借金を抱える主人公・大倉一男を演じ、高橋一生が一男の親友で億万長者の古河九十九を演じる。
突然3億円を手にした主人公の体験を通して、お金が人間関係や価値観に与える影響を描く作品。友情や家族とのつながりを軸に、豊かさや幸福の意味を問いかけるだけど、
伝えたいメッセージ性はわかるもののどうもモヤモヤする映画でした。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:億男
原題:MILLION DOLLAR MAN
公開年:2018年10月19日
製作国:日本
上映時間:116分
監督:大友啓史
脚本:渡部辰城、大友啓史
原作:川村元気『億男』
出演:佐藤健、高橋一生、黒木華、池田エライザ、沢尻エリカ、北村一輝、藤原竜也
ジャンル:ヒューマンドラマ
あらすじ

失踪した兄が残した借金を背負い、妻や娘とも別居生活を送る大倉一男(佐藤健)。借金返済のため、昼は図書館の司書、夜はパン工場で働く毎日を送っていた。
そんなある日、購入した宝くじが当選し、突然3億円という大金を手にする。
しかし、ネットで高額当選者の悲惨な末路を知り、不安に駆られた一男は、大学時代の親友であり、起業で巨万の富を築いた古河九十九(高橋一生)を訪ねる。
15年ぶりに再会した二人は酒を酌み交わすが、翌朝、一男が目を覚ますと九十九は3億円とともに姿を消していた。
一男は九十九の行方を追いながら、かつて彼と関わった人々を訪ね、お金と幸せの関係について考えていく。
大コケの理由
本作、公開当時、興行収入ランキングで初登場2位発進と、大規模公開の話題作としてはやや伸び悩む滑り出し。最終的な興行収入は10億円に届かない見通しとなり、制作規模(全国約300館規模)に対して厳しい数字となっている。
理由としてはスカスカとしたプロットや起承転結の弱さ、メリハリに欠ける展開が指摘されました。
自分も観ていて、モロッコのくだりいる?と思ってしまった。
なんか撮影でかこつけてモロッコ行きたかっただけでは?
九十九はなぜ3億円を持ち出したのか?結末とその真意
結論から言えば、九十九は3億円を持ち逃げしたわけではなく、一男がお金によって変わってしまうことを恐れ、お金の本当の価値について考えさせようとしていたわけです。
まあ、そうでしょうね、というのが率直な感想。
そもそも九十九が本当に悪い奴なのか、それとも何か理由があって3億円を持ち出したのか。おそらく観客はそこを疑いながら物語を追っていくことになる。
ただ、私は最初から九十九が本当にお金を盗むような人間には見えなかった。
というのも、九十九は少しどもりながら話すキャラクターなんですよね。完全に私の勝手なイメージなんだけど、こういう話し方をする人物が実は悪人だった、という展開はあまり想像できなかった。もちろん、話し方と人間の善悪には何の関係もないんだけど。
だから、九十九が何を考えているのかというよりも、この物語をどう着地させるのかという部分に興味があった。
しかし蓋を開けてみれば、やっぱりお金の価値を問い直すための行動だったという結末。
九十九自身も、お金とは何なのか、その答えをずっと探していた。そして、一男にもお金に支配されない人生を歩んでほしかった。
言いたいことはわかる。
ただ、物語として大きな驚きがあったかと言われれば、正直そこまでではなかった。結末もおおむね予想通りで、どこか予定調和に感じてしまった。
お金によって人間は変わる。本当に大切なものはお金では買えない。
そんなメッセージを伝えたいのだろうけど、少々説教くさく感じたのも事実です。
行動経済学の「損失回避」から考える、お金に支配される人間の心理
本作で最も興味深かったのは、主人公の一男がお金に振り回されていく姿だった。
そもそも3億円なんて、もともと持っていなかったお金なんですよ。
たまたま宝くじに当選して、偶然手に入っただけ。それなのにその3億円がなくなった途端、一男は不安に駆られ、九十九を追いかけ回す。
もちろん3億円を取り戻したいという気持ちは理解できるし、親友に裏切られたかもしれないという問題もある。
ただ、ここには人間の心理として非常に面白いものがある。
行動経済学には「損失回避」という考え方があって、人間は何かを得る喜びよりも、それを失う苦痛を強く感じやすいとされている。
一男は3億円を手にしたことで幸福になったのか。むしろ、そのお金を失うことへの恐怖によって、精神的に追い詰められてしまった。
お金を持っていなかった頃と、持ってから失った後では、同じ金額でも心理的な意味がまったく違ってくる。
これこそ、お金に支配されている状態なんでしょう。
そして、劇中で語られる、他人からただでもらった1万円の話も印象的だった。
その1万円には実質的な価値がない。だから破り捨てろ、という考え方。
もちろん経済的には他人からもらった1万円だって1万円の価値がある。ただ、この話が問いかけているのは、紙幣の額面ではなく、人間がそこにどんな意味を見いだしているのかということ。
私はこの考え方には非常に共感できた。
そもそもお金なんて、人間が価値を与えた数字にすぎない。その数字が増えたからといって、人間としての価値が上がるわけでもなければ、必ず幸福になれるわけでもない。
重要なのは、お金をいくら持っているかではなく、そのお金を使って何を実現したいのか。
家族と過ごす時間を増やしたいのか。自分の好きなことをしたいのか。誰かのために使いたいのか。
本質的な幸福はお金そのものにあるのではなく、その先にあるものなんでしょう。
だからこそ、3億円という数字に振り回され続ける一男の姿には、どこか滑稽さすら感じてしまった。
お金にとらわれるなと言われても、お金がなければ何もできない
ただし、ここで一つ大きな疑問が残る。
お金にとらわれてはいけない。本当に大切なものはお金ではない。
それはよくわかるが、だから何なんだ? という気持ちもある。
なぜなら、現実問題としてお金がなければできないことが山ほどあるからだ。
例えば、劇中では一男の娘がバレエを習いたがっている。しかし経済的な事情によって、その希望をかなえてあげることができない。
これって、まさにお金がないことによって生まれる不幸じゃないですか。
子どもに習い事をさせたい。家族で旅行に行きたい。好きな場所に住みたい。病気になったときに十分な治療を受けたい。
そうしたことを実現するためには、どうしたってお金が必要になる。
もちろんお金がなくても幸せを感じることはできる。しかしお金があれば実現できる幸福があることも、また事実なんですよね。
お金が人生の目的になってはいけないということと、人生にお金が必要であるということは、まったく矛盾しないのです。
だから、単純にお金に執着するなと言われても、現実的な問題が解決するわけではない。
しかも本作では最終的に一男のもとへ3億円が返ってくる。
これがまたなんとも都合のいい展開に感じてしまった。
お金より大切なものがあると散々説いておきながら、結局は3億円が戻ってくるわけです。
もし本当に3億円を失ったままだったら一男は同じ答えにたどり着けたのだろうか?
借金を抱え、妻や娘とも離れて暮らし、経済的な不安を抱え続ける状況でも、お金より大切なものがあると胸を張って言えたのだろうか?
私はむしろ、そこを描いてほしかった。
本作が伝えようとしているお金の哲学は理解できるし、考えさせられる部分も確かにあったが、その哲学を物語として提示する方法が少々わかりやすすぎる。九十九の行動も、最後の種明かしも、結局は作品のメッセージを説明するために用意されているように感じてしまう。
だから、どうしても説教くささが残るんです。
お金は人生の目的ではなく、何かを実現するための手段である。
その通りだと思う。
だけど、その手段がなければ実現できない人生もある。
お金に支配されてはいけない。でも、お金がなければ守れない幸せもある。
この現実的な矛盾にもう少し踏み込んでくれたら、単なるお金の教訓話では終わらない、もっと深い作品になったのではないかと思いました。





