2017年7月8日に公開された日本の長編アニメーション映画『メアリと魔女の花』。
スタジオジブリ出身の米林宏昌監督が手がけた、スタジオポノック初の長編作品。
原作はイギリスの作家メアリー・スチュアートが1971年に発表した児童文学『The Little Broomstick』。日本では『小さな魔法のほうき』の題名でも出版されている。
日本国内の興行収入は32.9億円を記録し、海外でも150以上の国と地域で公開され、結構大ヒットしている。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:メアリと魔女の花
原題:Mary and The Witch’s Flower
公開年:2017年7月8日
製作国:日本
上映時間:102分
監督:米林宏昌
脚本:米林宏昌、坂口理子
原作:メアリー・スチュアート『The Little Broomstick(小さな魔法のほうき)』
出演:杉咲花、神木隆之介、天海祐希、満島ひかり、小日向文世、佐藤二朗、遠藤憲一、渡辺えり、大竹しのぶ
音楽:村松崇継
主題歌:SEKAI NO OWARI「RAIN」
ジャンル:アニメーション/ファンタジー/アドベンチャー
あらすじ

大叔母シャーロットが暮らす赤い館に引っ越してきた11歳の少女メアリ。退屈な毎日を過ごしていたある日、少年ピーターの飼い猫を追って森に迷い込み、7年に一度しか咲かない不思議な花「夜間飛行」を発見する。
その花の力によって魔法を使えるようになったメアリは、空飛ぶほうきに乗って雲の上にある魔法世界最高学府「エンドア大学」へとたどり着く。
そこで校長マダム・マンブルチュークと科学者ドクター・デイに出会い、魔法の才能を持つ少女として歓迎されるメアリ。しかし、大学では「夜間飛行」を利用した危険な実験が秘密裏に進められていた。
やがてピーターが事件に巻き込まれ、メアリは彼を救うため、再び魔法の世界へと向かう。
既視感の連続
本作はスタジオジブリ出身のスタッフが中心となって設立したスタジオポノックの長編アニメーション第1作目。監督は『借りぐらしのアリエッティ』『思い出のマーニー』を手がけた米林宏昌。
それにしてもとりあえず魔女を題材にしておけばいいと思っているのではないかと思うくらい本当に魔女が好きだよね。
何より気になったのは、世界観があまりにもジブリそのものだということ。
メアリが暮らす家にいる大叔母シャーロットは『魔女の宅急便』でニシンのパイを焼いていた老婦人まんまやんけ。
別にね、ケチをつけたいわけじゃありません。
でもこういうのって鑑賞する上でけっこうノイズになるんですよ。実際に自分は「あ、ニシンのパイの婆さんじゃん」と思ってしまった時点で作品としては邪魔じゃないですか。
しかも「そう言えば孫に作ったパイいらんとか言われてたよな」とか余計なことを観客に思わせていたらせっかくの作品に没入できない。
誰か言わないのかな?「あれ?これは魔女宅のあの婆さんにそっくりじゃないスか?」って。
これは懐かしさでもなければ嬉しいオマージュでもない。むしろ邪魔でしかない。
エンドア大学にしても、まるで『ハリー・ポッター』のホグワーツ魔法魔術学校。魔法を教える学校という設定自体に新鮮味がなく、そもそも入学するなら授業料はどうなっているのか?そんな余計なことまで気になってしまった。
さらに、ドクター・デイという教授のキャラクターも、どこかで見たことのある怪しげな科学者そのもの。『ロックマン』のDr.ワイリーをはじめ、アニメやゲームで散々見てきたタイプの人物にしか見えない。
とにかく既視感の連続。
ただこれを単純に米林監督の力量不足として片づけるのも違う気がする。
宮崎駿が築き上げた世界観は、それほどまでに強烈だったということだろう。ジブリで長年経験を積んできた人たちが、その影響から完全に離れることは容易ではない。
かといって宮崎駿らしさを残せば本家と比較され、オマージュだと思われてしまう。それは米林監督にとっても気の毒な話だ。
自分たちが培ってきた表現を残しながら、どうやって独自の世界観を生み出すのか。
しかしどこかで宮崎駿を思い出させてしまった時点で、自分はもう負けではないかと思ってしまう。
空を飛ぶ映像表現と「魔法はいらない」に込められた成長
あんまりくさしてもアレなのでいい点をあげると、メアリが箒に乗って空を飛ぶシーンはよかった。
箒が一気に上昇し雲の上まで飛んでいく。目の前には乱気流を思わせる巨大な雲が現れ、今にも衝突しそうになる。
この場面は見ていて非常に不安になる。
ところがそこから一気に下降すると、今度は眼下に緑豊かな大地が広がり、動物たちの姿が見えてくる。
わずか数分の飛行シーンに、恐怖、不安、高揚感、そして開放感まで盛り込まれている。この感情の切り替わりは実に見事だった。
宮崎駿も空を飛ぶ描写を数多く手がけてきたが、今回のような激しい高度変化を通じて恐怖と爽快感を立て続けに味わわせる表現には、米林監督ならではの魅力を感じた。
そして本作のテーマも比較的わかりやすい。
主人公のメアリは、もともと自己肯定感の低い少女。自分には何の取り柄もないと思っているからこそ、特別な能力への憧れが強い。
そんな彼女が魔法の花「夜間飛行」の力を手に入れ、突然魔法を使えるようになる。
エンドア大学ではマダムやドクター・デイから才能を認められ、まるで自分自身の能力であるかのように振る舞ってしまうが、それはメアリの力ではない。あくまで花から与えられた借り物の力にすぎない。
これはマダムやドクター・デイにも共通する問題だと思う。
彼らもまた自分たちの能力を超えた魔法の力を思いどおりに操れると過信している。自分たちのものではない強大な力を支配しようとする、その傲慢さが危険な実験へとつながっていく。
つまり本作には、自分の能力を超えた力を自分のものだと思い込むことへの戒めが込められているように感じた。
そしてそのテーマが最も明確に表れているのが、最後の「魔法はいらない」というメアリのセリフだ。
特別な力を持たなくても、自分には価値がある。自分を肯定するために、余分な能力など必要ない。
これはメアリが成長した証拠だろう。
米林監督の長編監督デビュー作『借りぐらしのアリエッティ』と比較しても、今回のほうがテーマはずっとわかりやすかった。というかあの映画は前代未聞のクソ映画だった。
『アリエッティ』では宮崎駿が企画・脚本を担当しており、米林監督との作品解釈の違いも語られているが、少なくとも『メアリと魔女の花』には、物語の最後に伝えたいことが明確に示されている。
30分でも描ける物語と、スタジオポノックに残された課題
とはいえテーマが明確だからといって、映画として十分に面白かったかというとそれはまた別の話。
結局のところ、本作は魔法に憧れていた自己肯定感の低い少女がちょっとした成長を描いた物語にすぎない。
その過程で展開されるのは、エンドア大学の関係者たちとの追いかけっこのような騒動が中心。
ぶっちゃけ30分程度の短編作品でも十分に伝えられる内容だ。
映像には見応えがあるものの、物語そのものにはもう少し起伏や意外性が欲しかった。
さらに個人的に不要だと感じたのがエンディングで流れるSEKAI NO OWARIの「RAIN」。
こうした著名アーティストとのタイアップを、自分はあまり好まない。
作品が「魔法はいらない」というセリフでテーマを伝え終えたのなら、そこで映画としての余韻を残してほしい。わざわざタイアップ曲で締めくくる必要があるのかと思ってしまう。
総じてスタジオポノックの長編第1作にはまだまだ課題が多いと感じた。
映像表現には確かな技術があるものの、世界観やキャラクターには既視感がつきまとい、長編映画としての物語の厚みにも物足りなさが残る。
宮崎駿が作り上げた世界観を、別の監督がそのまま引き継いで超えることはおそらく無理なので、スタジオポノックは一刻も早く宮崎駿の呪縛から抜け出す必要があるのではないか。
ジブリ出身という経歴や、ジブリらしい映像表現に頼るのではなく、自分たちにしか作れない世界観を見つけること。
それができなければ、いつまでも宮崎駿作品の延長線上で比較され続けることになる。
本作は米林宏昌監督の可能性を感じさせる一方で、スタジオポノックが独自のアイデンティティを確立することの難しさを、改めて浮き彫りにした作品だった。






