【ドラマ】モンスター: リジー・ボーデンの物語(2026)|同性愛描写にうんざり。自由度が高いNetflixがなぜ同じ方向へいくのか?キャストについて【ネタバレ考察】

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ドラマ『モンスター: リジー・ボーデンの物語』をイメージした画像 Netflixオリジナル

2026にNetflixで配信された全8話のクライムドラマ『モンスター: リジー・ボーデンの物語』。

ライアン・マーフィーとイアン・ブレナンによるアンソロジー『モンスター』シリーズ第4弾で、シリーズ初の女性主人公としてリジー・ボーデンを取り上げる。

実際に1892年に起きたリジー・ボーデン事件を題材としながら、史実では現在も真相が確定していない部分を大胆にフィクション化。

途中まではいいんだけど、最後の改変によって「所詮いつものNetflixだよね…」みたいなガッカリ感がありました。

本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。

基本情報




作品名:モンスター: リジー・ボーデンの物語
原題:Monster: The Lizzie Borden Story
公開年:2026年
製作国:アメリカ
話数:全8話
制作:ライアン・マーフィー、イアン・ブレナン
出演:エラ・ベイティ、ヴィッキー・クリープス、チャーリー・ハナム、レベッカ・ホール、ビリー・ロード、ジェシカ・バーデン、サラ・ポールソン
ジャンル:クライム/伝記/ホラー/ヒューマンドラマ 

あらすじ




1892年、アメリカ・マサチューセッツ州。裕福な家庭に生まれながら、厳格な父アンドリューと継母アビーの支配に苦しむリジー・ボーデン。閉塞した生活を送る彼女の日常は、新たなメイドとしてブリジット・“マギー”・サリヴァンがやって来たことで変化していく。

やがてリジーとマギーは親密な関係となり、リジーの中に抑え込まれていた怒りが次第に表面化。そして1892年8月、父と継母が斧で惨殺される事件が発生する。リジーは殺人容疑で起訴され、全米の注目を集める裁判へと進んでいく。

Netflixよ、またか…




Netflixオリジナル作品は地上波や普通の映画ではなかなか踏み込めない題材にも平気で手を出すし、表現の自由度も高い。

ただ、最近は本当にうんざりしている。

また同性愛。
また女性差別。
また「女性の権利」。

もちろんそういう問題を描くこと自体を否定しているわけではなく、今回のリジー・ボーデンが生きた時代に、女性が現在とはまったく違う立場に置かれていたことも分かる。

しかしNetflix作品を観ていると、このテーマに当たる確率があまりにも高すぎる。

今回もリジーと女性の関係を描き、さらに後半から登場するアイリーンにも同性関係がある。別にリジーと使用人の間でそのような関係があったと認められてない。つまりNetflixの脚色である。

そして「女だから男に下に見られる」「社会から蔑まれる」「男は女を恐れている」「男は優しくない」といった話が繰り返される。

もう分かったよ…。

特に違和感があったのが、「男は女を恐れている」「男は優しくない」といった、男性全体を一括りにするような言葉だった。

女性を「女だからこうだ」と一括りにする社会を批判しているのに、自分たちは「男はこうだ」と一括りにする。

それって結局、同じことをやっていないか?

女にもいろいろな人間がいるように、男にもいろいろな人間がいる。女を恐れていない男もいるし、優しい男だっていくらでもいる。

性別で人間を一緒くたにしてんじゃねぇよ。

『令嬢アンナの真実』でも『地獄に堕ちるわよ』でも毎回同じテーマ。

Netflixってなんか男性に恨みでもあるのですか?

ちなみに個性的な顔面している主人公のエラ・ベイティは、『俺たちに明日はない』や『バグジー』などで知られる俳優兼監督のウォーレン・ベイティと、『アメリカン・ビューティー』や『華麗なる恋の舞台で』で知られるアネット・ベニングの娘さん。

女を武器にして、無罪放免。




さらに皮肉なのが、女性であることによって抑圧されてきたリジー自身が、裁判になると「女であること」を武器として利用することだ。

役者の友人から女性性を利用した演技を教わり、それを自分を守るために使う。

女性であることによって不利益を受けながら、状況が変われば女性であることを利用する。単純な被害者ではないリジーのしたたかさが見える。

そしてここには「女性にはあんな行為はできない」という、男性からの女性差別が、結果的に彼女を救うことになるという皮肉がある。

だからこそ最後までその矛盾を描けばよかったのに終盤になるとリジーは女性の権利獲得運動(女性参政権運動)に参加していたという設定になっている。

え?WHY?なんでそうなるの?

リジーは女性参政権が認められた1920年(19条改正)の前後も存命だったが、彼女が活動家として運動に参加した、あるいはデモや組織に関わったという記録は一切残っていない。

これもNetflixの脚色、改変である。

とことん彼女をフェミニズムの象徴的なキャラクターにしたいのだろうが、結果的に両親を殺害した女である。

自分が見たかったのは殺人を犯した人間がその先で何を背負い、どう壊れていくのかという話だったのに、いつの間にか「抑圧された女性」の物語へと重心が移ってしまう。

殺人者のリジーの物語の着地の仕方が見つからなかったから、抑圧されいた女性を解放する方向にいったことが、気持ち悪く思えてしまった。

モンスターですか?




自分がこの『モンスター』シリーズに期待していたのは『ダーマー』みたいな得体の知れない狂気性。

殺人を犯して、死体を食べるという行為は到底理解できるものはではなかったが、その理解できなさに魅力を感じていたのに、

だけど、リジーが両親を殺す動機はめちゃめちゃわかりやすいんです。

両親から愛されず、抑圧され続けた子供が、最後にはブチ切れて、自分の両親を殺す。

まぁ、こうなるよね。と理解できるので別に「彼女がモンスターか?」と言われるとちょっと弱いかな。

彼女の両親は視聴者が同情する余地をほとんど残さないほど嫌な人間として過剰に描かれているので、二人が殺される場面を見ても、悲惨というより妙な爽快感がある。

食事中に盛大にゲロを吐くシーンはもはやブラックユーモアだ。

だから自分は、愛されなかったリジーがなぜそこまで壊れたのか、そして両親を殺したあと、その罪とどう向き合うのかを見たかったのに、殺人の先から、ドラマは見たかった方向とは違う場所へ進んでいった。

殺人の先で女性の権利を語り始め、どこか解放されたように生き生きしていく姿なんか見たくなかったし最後まで、親を殺した一人の人間の物語を見せてほしかった。

映像的には若干オシャレに編集されていて、見せ方はそれなりに新しかったがゆえにもったいなかったかなという印象でした。

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