2026年9月25日よりNetflixで配信された実話に着想を得たク映画『ユナボマー』。
テッド・カジンスキーの若き日と、後年のFBIによる追跡という二つの時間軸を交互に描く。
「少年がなぜ殺人犯になったのか?」せっかく面白そうな題材なのに、これがめちゃめちゃ退屈な内容になってしまっていました。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:ユナボマー
原題:UNABOMBER
公開年:2026年
製作国:アメリカ
上映時間:100分
監督:ヤヌス・メッツ
脚本:サム・チャルセン、ネルソン・グリーヴス
出演:ジェイコブ・トレンブレイ、ラッセル・クロウ、シャイリーン・ウッドリー、アナベル・ウォーリス、アレクサンダー・ルドウィグ、スティーヴン・オッグ、マーク・メンチャカ
ジャンル:クライム/サスペンス/ドラマ
あらすじ

1958年、わずか16歳でハーバード大学へ入学した天才数学者テッド・カジンスキー。周囲になじめず孤独を抱える彼は、心理学者ヘンリー・マレーが行う心理実験の被験者となる。そこで過酷な体験を重ねるうち、テッドの内面には次第に社会への疎外感と怒りが積み重なっていく。
それから年月が経ち、アメリカ各地で爆弾事件が発生。FBIが犯人を追う一方、物語はハーバード時代の若きテッドと「ユナボマー」と呼ばれるようになった後の時代を行き来しながら、一人の青年が孤独な連続爆弾犯へと変貌していく過程を描いていく。
いつまで経っても面白くならない
16歳でハーバード大学に入学した天才テッド・カジンスキーが、なぜ社会を拒絶し、後に「ユナボマー」と呼ばれる連続爆弾犯になったのか?
そしてその正体を17年間くらい追い続けるFBIの話。
素材だけ並べれば、かなり面白くなりそうな実話サスペンスだと思う。
ところが実際に観ていると、とにかく緊張感がない。テンポも著しく悪く、いつ面白くなるんだろう?と思いながら我慢して観ていたら、そのまま100分が経って終わってしまっていた。
別に派手な映画にしてほしかったわけではない。ただ、派手さを捨てるのであればその代わりに心理戦や捜査の緊迫感が欲しいが、本作にはそれが足りなかった。
実際のユナボマー事件は、手製の爆弾を長期間にわたって送り続けた事件なので、史実を無視して映画だけ派手にするわけにもいかないしその制約は理解できるが、映画として観ると、爆弾犯を題材にしている割には事件のスケール感が小さく感じてしまう。
断続的に爆弾を送りそれをFBIが追いかける。その繰り返しだけでは、100分を引っ張るエンタメとしてなかなか加速していかない。
過去とFBIの捜査を行き来する構成も、それぞれの物語への没入を途切れさせる。
結果としてどちらも中途半端なのだ。
「なぜ?」が「だよね」で終わってしまう
なぜ天才数学者だったテッド・カジンスキーがユナボマーになったのか?
この作品ってここが肝だと思うんだけど、これがそもそも見せ方を失敗している。
若きテッドを演じるジェイコブ・トレンブレイの演技は良くて、頭のいい少年が自分の思想を獲得していく過程はきちんと見える。
しかしテッドって最初から結構偏屈な人物として描かれているのだ。負けず嫌いで人間関係にも不器用で、恋愛に対しても「女なんていらない」というようなやつだ。
簡単に言ってしまえば、かなりの「こじらせ男子」。
だから「こんな善良で普通だった人間が、なぜ爆弾犯になってしまったのか」という驚きがない。
こじらせた男がさらに社会を拒絶して爆弾マンになってしまったと言われても、僕としては「なぜ?」というより「だよね」という感覚になってしまった。
もちろん変わり者だから犯罪者になるという話ではなくて、自分が物足りなかったのは、映画の中でテッドが決定的に一線を越えるまでの心理的な変化があまり見えないこと。
テッドの思想がどのように変化し、なぜ最終的に他人を傷つけるところまで行ったのか?その核心まで十分に掘り下げたようには感じなかった。
ここを描くには100分では短かったのかもしれない。人物に感情移入する前に話がどんどん先へ進んでしまう。
とはいえ単純に上映時間を長くすればいいとも思わない。この退屈なテンポのまま150分や180分を見せられても、それはそれで困る。
必要だったのは尺ではなく、何を描いて何を捨てるのかという選択だったのではないか?
それでも2026年に映画化する意味は何だったのか?
この題材には、2017年に『マンハント:ユナボマー』という全8話のドラマシリーズがすでに存在している。
だからこそ今回の映画には、「もう一度ユナボマーを描く理由」が欲しかった。
これまでとは違う心理分析でもいい。
テッドの思想に対する監督独自の解釈でもいい。
あるいは映画だからこそ可能な映像表現でもいい。
ユナボマーという人物をこう見るというそ作り手のアイデンティティが欲しかった。
しかし本作を最後まで観てもまるで見えてこなかった。
Netflixというプラットフォームには評価しているところがたくさんある。従来なら扱いにくかった題材にも踏み込み、自由度の高い作品を作れることは大きな魅力だと思っている。
一方で最近観た作品では、女性を活躍させることや女性の権利を訴えること自体が、物語より先に置かれているように僕には感じることもある。
本作でも架空の女性FBI捜査官を配置していて活躍させているけど、なんでわざわざ?結構強気で男性捜査官と口論交わすシーンとか、「女性だって男と対等にやりあえるんだよ」みたいなNetflix上層部が好みそうな思想がプンプン匂う。
作品を挙げればキリがないのでもう挙げないけど、過去のNetflix作品は「女性にいかに焦点を当てるか」、「いかに女性が男性たちに虐げられてきたか」を散々描いてきていて、正直「またか」と辟易してしまっている。
もちろん女性を主人公にすることが悪いわけではないし、女性の権利を描くことにも何の問題もない。
しかしそれが物語から自然に生まれるのではなく、先にメッセージがあって人物を配置しているように見えた瞬間、一気に作品から気持ちが離れてしまうのだ。
まぁ、今回についてはそこ以前の問題だけども。
なぜ2026年にもう一度この映画を作ったのか?その答えになるような新しい視点も見つけられなかった。





