【映画】シャッター アイランド(2010)|わかりやすく解説します。最初の女・最後のシーンの意味【ネタバレ考察】

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映画『シャッター アイランド』をイメージした画像 アメリカ映画

2010年に公開された映画『シャッター アイランド』。

本作は、デニス・ルヘインの同名小説をマーティン・スコセッシ監督が映画化したミステリー・サスペンス。

マーティン・スコセッシ監督の作品にレオナルド・ディカプリオが出演するのは4度目となる。

本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。

基本情報




作品名:シャッター アイランド
原題:Shutter Island
公開年:2010年
製作国:アメリカ
上映時間:138分
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:レータ・カログリディス
原作:デニス・ルヘイン『シャッター・アイランド』
出演:レオナルド・ディカプリオ、マーク・ラファロ、ベン・キングズレー、ミシェル・ウィリアムズ、マックス・フォン・シドー、エミリー・モーティマー、パトリシア・クラークソンほか
ジャンル:ミステリー/サスペンス/スリラー

あらすじ




映画『シャッター アイランド』をイメージした画像

1954年。連邦保安官テディ・ダニエルズは、相棒チャック・オールとともに、ボストン沖の孤島「シャッター アイランド」にある精神病院を訪れる。

目的は、子ども3人を殺害して収容されていた女性患者レイチェル・ソランドの失踪事件を捜査すること。厳重に管理された施設から忽然と姿を消した彼女は、「4の法則。67は誰?」という謎めいたメッセージを残していた。

捜査を進めるにつれ、病院スタッフの不自然な態度や患者たちの奇妙な証言、島に隠された施設の存在が浮かび上がる。さらにテディ自身も、亡き妻の記憶や過去のトラウマに翻弄されながら、島に隠された真実へと迫っていく。

結局なんだったのか?




先にオチから言ってしまうと、レオナルド・ディカプリオ演じる連邦保安官テディ・ダニエルズという人物は、実際には存在しない。

彼の本名はアンドリュー・レディスで、彼自身がこのシャッター アイランドにある精神病院へ収容されていた患者だった。

過去に何があったのか。

アンドリューの妻ドロレスは精神を病み、3人の子どもを湖で溺死させてしまう。帰宅したアンドリューはその惨状を目の当たりにし、絶望の中で妻を銃で撃ち殺した。

その事実に耐えられなくなったアンドリューは、自分は「連邦保安官テディ・ダニエルズ」であり、妻は「アンドリュー・レディスという放火魔に殺された」という別の物語を頭の中に作り上げてしまう。

つまり彼が島で追い続けていた「アンドリュー・レディス」という男は、本当は自分自身だったわけである。

そして映画冒頭から行われていた女性患者の失踪事件の捜査も、病院側がアンドリューを現実へ戻すために用意した巨大なロールプレイ治療だった。

相棒のチャックも本当の連邦保安官ではなく、アンドリューの担当医。

病院スタッフたちはアンドリューの妄想を否定するのではなく、あえてその世界へ入り込み、「じゃあ最後まで保安官として捜査してみなさい」と付き合っていたのだ。

かなり大胆な治療である。

しかもこれは最後のチャンスに近い。アンドリューは暴力的になり、職員にも危険が及ぶようになっていたため、今回の治療でも回復できなければロボトミー手術を行うところまで来ていた。

そう考えると、「女性患者が誰にも見られず突然消えた」「病院が何かを隠している」「職員たちの態度がおかしい」という序盤の違和感も、全部意味が変わってくる。

アンドリューは物語の最後に自分の罪の現実を自覚した上で、あえて再び妄想のフリをして、ロボトミー手術を受ける意思を示して医療スタッフと灯台へ向かうのだった。

結局はみんながテディの妄想に付き合っていただけだったというオチでした。

ちょっと卑怯な映画




精神を病んだ凶悪犯罪者たちが収容されている病院で、ある女性患者が忽然と消える。

彼女の姿を誰も見てないし、施設側は明らかに何か隠しているように見える。

自分はこの導入めちゃくちゃ好きだった。

そのまま病院側の隠蔽だとか、人体実験とか、島に隠された秘密みたいな方向へ行くのかと思っていたが、テディの妻が出てくる妄想シーンが何度も挟まり徐々にしんどくなってくる。

亡くなった妻が普通に目の前に現れて話している時点で妄想なので。

そして最終的には、「実は主人公自身が患者でした」「捜査も妄想を利用した治療でした」というオチになる。

精神錯乱や妄想を物語の中心に置いてしまえば、かなり何でもできるからちょっと卑怯なんですよね。

辻褄が合わなくても、「本人がそう認識していたから」で処理できてしまう。

こういうルールでやられると、作り手側がかなり自由すぎる。

自分には『ファイト・クラブ』や『シックス・センス』以降に増えた、「実は物語の前提そのものが違いました」というどんでん返しの応用編にも見えた。

でも精神錯乱というカードまで使われると、それ出されたら何でもありじゃん。

自分としてはあの不気味な病院の謎をそのまま追っていくミステリーを見てみたかったのが本音。

ちなみに最初のあの「しー」ってやってた女は何とでも解釈できるんだけど、彼女は事情を知っていて「余計なこと喋るともうじき君はロボトミー手術行きだよ」みたいなニュアンスじゃないでしょうか。

いずれにしても解釈がいくらでもできる映画なのは間違いない。

ラストについて




最終的に治療によってアンドリューは自分が何をしたのかを思い出す。

妻が子どもたちを殺し、自分が妻を殺し、そして自分が患者であること。

一度は現実に戻ったように見えるが翌朝、担当医を再び「チャック」と呼ぶ。

つまり表面的には、「またテディの妄想に戻ってしまった」ということになる。

病院側も治療は失敗したと判断し、彼がロボトミー手術へ連れて行かれるところで物語は幕を閉じる。

ただ、その直前の言葉を思い返してみるとこんなことを言っている。

怪物として生き続けることと、善人として死ぬことのどちらがいいのか

ここまで言えているということはむしろ全部分かったうえで、「この現実を背負って生き続けるくらいなら、自分という人格を消してしまった方がいい」と考え、わざとテディに戻ったふりをしたんじゃないか。

さっきも言ったけどこういう精神狂った系はわりと何でもありな映像挟めたりするので卑怯だなと思うところはあるものの、嫌いな作品ではなかった。

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