【映画】シックス・センス(1999)|数か月全員からシカトされ続けるマルコム・主人公死んでるパターンの元祖【ネタバレ考察】

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映画『シックス・センス』をイメージした画像 アメリカ映画

1999年に公開された映画『シックス・センス』。

いまとなってはつまんねぇ映画ばかり作るM・ナイト・シャマランが監督・脚本を手がけた1999年公開の大ヒットホラー・ミステリー。

ブルース・ウィリスが小児精神科医マルコム、ハーレイ・ジョエル・オスメントが死者を見る少年コールを演じる。

本作は私が中学生の頃に劇場に行って鑑賞した思い出深い作品。今観ると「あれ?」と思うことがあるのでそれらを含めて色々語っていこうと思う。

本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。

基本情報




作品名:シックス・センス
原題:The Sixth Sense
公開年:1999年
製作国:アメリカ
上映時間:107分
監督:M・ナイト・シャマラン
脚本:M・ナイト・シャマラン
原作:―
出演:ブルース・ウィリス、ハーレイ・ジョエル・オスメント、トニ・コレット、オリヴィア・ウィリアムズ、ドニー・ウォルバーグ
ジャンル:ホラー/ミステリー/ドラマ

あらすじ




映画『シックス・センス』をイメージした画像

小児精神科医のマルコム・クロウは、かつて担当した青年ヴィンセントから「自分を救ってくれなかった」と責められ、銃撃される。

それから1年後、マルコムは心を閉ざした少年コールと出会う。コールは学校でも周囲になじめず、母親にも言えない大きな秘密を抱えていた。

やがてコールはマルコムに「死んだ人が見える」と告白する。最初はその言葉を疑うマルコムだったが、コールの体験と向き合ううち、死者たちが彼の前に現れる理由を理解し始める。二人はそれぞれの恐怖や後悔と向き合いながら、少しずつ前へ進んでいく。

「ネタバレしないでネ」by.ブルース・ウィリス




冒頭にはブルース・ウィリスからこのような趣旨のメッセージが出てくる。

今考えるとちょっと野暮ではあるが、この映画については確かに仕方がない。

何しろ最大の仕掛けが、「ブルース・ウィリス演じるマルコム自身が、実は最初から死んでいた」というものだから。

これを先に知らされたら作品の面白さはかなり失われてしまう。

しかも公開されたのが1999年という時代で、今なら映画公開直後からSNSでネタバレが流れてくるけれど、当時はまだ今ほど情報が一瞬で拡散する時代ではなかったというのも大きい。「ネタバレしないでね」と言われれば、多くの観客がそれを守っていたような時代だったと思う。

そして奇しくも同じ1999年には『ファイト・クラブ』も公開されている。

あちらも最後になって、ブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンが、実はエドワード・ノートン演じる主人公自身が生み出した存在だったという設定。

どちらも、最後の最後でそれまで見ていた世界をひっくり返す映画だった。

この手のアイデアって本来は一度しか強烈に効かないと思うが本作以降、自分は「実は主人公自身が死んでいました」というオチを本当に何度も見ることになる。

そしてこの映画は、ホラーとしての雰囲気も自分は結構好きだった。

それまで自分が見てきたアメリカのホラーは、モンスターが出てきたり、バイオレンスで怖がらせたりするものが多く、全く怖いと思わなかったが、本作はもっとじわじわ来る心理的な恐怖がある。

さらに当時、アクションスターのイメージが強かったブルース・ウィリスが、ほとんどアクションのない抑えた役を演じているのも新鮮だった。

妻の視線、母親との会話、バス代を全部「見せない」




ただ真相を知ったうえで2回、3回と見ていくと、「あれ?」と思うところが結構ある。

たとえば結婚記念日のレストランで妻のアンナは一人で食事をしている。

でもマルコムは自分が生きていると思っているから、妻と二人で結婚記念日のディナーに来ているつもりになっている。

そして一方的にコールについて話し続けるがアンナは何も返事をしない。

初見では、「ガン無視されて夫婦関係が冷え切っているんだな」と見えるが、真相を知れば「そりゃ返事しないよね。そもそもマルコムが見えていないんだから」となる。

ただ自分が気になるのは、アンナが一瞬マルコムの方を見るような場面があるのだ。

明らかに彼を認識しているようにも見える。

あれはちょっと卑怯じゃないかな。だって明らかにブルースウィリスを見てるんだもん。

コールの母親リンとの関係もそう。

彼女はマルコムに一度も話しかけない。

なのに初見ではなぜか観客は、「母親から相談を受けた精神科医がコールを診ている」と勝手に理解する。

母親とマルコムとの会話が一度もないのは不自然だけど、映画がその間の場面を丸ごと見せないことでなんとか観客にバレなうようにしている。

見せないことで観客に勝手に脳内補完させているのだ。

バスに乗る場面も同じ。

マルコムはコールと一緒にバスへ乗っている。

でも、どうやって運賃を払ったのかは見せない。

運転手がマルコムを見ているのかどうかも見せない。

第三者との接触が発生すると「こいつ誰とも会話してなくない?」と気づかれる可能性があるから、そこを全部避けている。

こうして何度も見返すとこの映画のミスリードは、「巧妙な伏線を張った」だけではなく、「都合の悪いところを見せない」ことでも成立している。

そこは結構ズルい。

数か月全員からシカトされ続けるマルコム




さらに根本的なところを考えると、マルコムが死んでからコールと出会うまでには数か月が経っている。

つまりその間、彼は妻と一言も会話できない。

周囲の人間からも反応されない。

それが何か月も続いている。

いや、さすがに気づかないか?

俺、シカトされてね?死んでるんじゃね?と。

数日ならまだ分かる。

でも何か月も誰からも反応されず、妻とも一度も会話が成立しないって、かなり無理があるでしょ。

もちろん映画の中では、死者は自分が見たいものだけを見る、自分に都合のいい現実を認識している、というような設定なので一応矛盾はクリアしているように思えるが、結構力業で誤魔化してるよなと思ってしまった。

シャマランは「なんか面白そう」を作る天才。でも着地が残念。

そしてこの映画を語るうえで外せないのがM・ナイト・シャマラン監督。

本作によって一気に世界的に名前が知られるようになった。当時はまだ20代ということで「この人、天才なんじゃないか?」と思ったが、その後の『アンブレイカブル』で、「あれ?つまんなくはないけどこれどうなの?」となって、最後に宇宙人をバットで殴る『サイン』で壮大な肩透かしを食らうことになる。

それ以降、シャマラン作品を見ていて自分が感じる共通点がある。

この人、「なんか面白そうな映画が始まりそう」と思わせるのはめちゃくちゃうまい。

つまりアイデアマンなんだと思う。

ただしそのアイデアを一本の物語として最後まで綺麗に完結させるのがあまり得意ではないようだ。

だから逆に考えると、ここまで綺麗に終わったシャマラン作品は、自分の中ではやっぱり『シックス・センス』が一番だと思う。

でもシャラマン監督がなぜか嫌いになれない自分がいる。

作品が出る度に鑑賞して最初は期待させてくれて、最後には毎回ガッカリさせられるんだけど、いつか『シックス・センス』のような傑作を観れるんじゃないかなと思ってるからだ。

でもそれはいつなんだろうか。