2024年に公開された映画『みなに幸あれ』。
下津優太監督が自身の短編作品を長編化した作品。KADOKAWA主催の「第1回日本ホラー映画大賞」で大賞を受賞した短編をベースに制作され、総合プロデュースは『呪怨』などの清水崇が担当。
主演には古川琴音を起用。看護学生の主人公が祖父母の住む田舎を訪れたことをきっかけに、「誰かの幸せは誰かの犠牲の上に成り立つ」という異様な世界の真実へと巻き込まれていく話。
いやー、今年観た究極のクソホラー映画で『“それ”がいる森』を超えるレベルの作品に出会ってしまいました。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
・作品名:みなに幸あれ
・公開年:2024年
・監督:下津優太
・脚本:角田ルミ
・音楽:香田悠真
・ジャンル:ホラー
・上映時間:89分
・製作国:日本
・主なキャスト:古川琴音
あらすじ

看護師を目指して東京で暮らす主人公「孫」は、久しぶりに祖父母の家へ帰省する。
しかし祖父母の家には幼い頃から感じていた不気味な違和感が残っていた。誰もいないはずの二階から聞こえる物音、祖父母が隠そうとする部屋、そして村全体を覆う異様な空気。
やがて彼女は、家族や村人たちが長年守り続けてきた恐ろしい秘密へと近づいていく。人々が「幸せ」を手に入れるために払っていた代償とは何だったのか。
幸福と犠牲が表裏一体となった世界で、主人公は想像を絶する真実を目撃することになる。
謎設定や曖昧なルール
久々に酷過ぎる映画を観た。いくら酷い映画と言っても何かしら褒めるところが一個くらいあるもんだが、本作品には褒める点が一つも見当たらない。こんな作品もなかなか珍しいと思う。
本作は、「幸福とは何か」「社会は誰かを犠牲にして成り立っているのではないか」というテーマのみで突き進んだ話であり、このテーマごり押しでその先の答えみたいなものが全く用意されておらず、深みが皆無である。
本作品では「孫」「祖父」「祖母」と言ったようにキャラクターたちに名前がない。これは「一家族の話」ではなく、「社会」というシステムを表現していると言えよう。
しかしよくわからないのがこのシステムは「この村だけ」のことなのか、「日本全体の話」なのか非常に曖昧だということ。
祖父の「東京はいいなぁ」とか幼馴染が東京の憧れをもっていたりと、東京との距離を感じたので、この村だけのシステムなのかもしれない。
東京に住んで看護師をしている主人公の「孫」が田舎の祖父祖母の家にやってくるところから話が始まる。
この村では各家に「生贄」がいることで自分たちが幸せに生きているという設定らしいが、生贄がいないと目から血が出てくる謎設定で、最初は彼ら家族は宇宙人説を疑ったが、どうやらそうでもないらしい。
しかもなんで目?祖母に至っては耳から血が流れてたけど、なんで血?耳は重症ということ?
どうか考えても弟の両目から血が出てる方が重症っぽかったけど。
事件性があってもなぜ孫は警察を呼ばないのか?
祖母はなぜ妊娠して出産したのか?
祖母が祖父の指をしゃぶるシーンはなんだったのか?
そして出産シーンではなぜ家族でブリッヂなのか?
残念ながらこれらの疑問に本作は一切答えてはくれない。
本作は監督の勝手なルールが強すぎてまるで『ミッドサマー』を観ているかのような気分になってしまった。
そう、本作は究極のオナニーなのだ。
ホラーとしてもB級
孫が祖父祖母の家に泊まりにくるんだけど、祖父祖母の様子がなんだからおかしいぞ。
これの祖父祖母がMナイトシャラマンの『ビィジット』の演出そのままなんですよね。
しかも劣化版。口空いたままとかボーっとつっ立ってたり、ちょいちょいクスっと笑えるシーンもある。
「ホラーとお笑いは紙一重」ですけど、完全に笑われちゃってるってホラーとしては失敗だと思います。
豚の鳴き声のシーンとか、なんでこれで怖がると思ったんでしょう。もはや笑わせにかかってるようにしか思えない。
包丁を肉に「ドンッ」と叩いてちょっと驚かそうという手法ももうだるい。本当にこれまでの映画をなぞってるだけでとにかくホラーの演出がダサダサなんです。
家のなかが謎に暗いのも日本のホラー映画の定番。もっと電気つけましょうね。
こういう奇行ってもっとじらさないと。祖父祖母の行動は毎回唐突だから何も怖さがない。
「ちょっと気味悪い祖父祖母」にしたいんだろうけど、気味が悪いどころか監督のオナニー道具にされていて可哀そうになってくるレベルだ。
しかもこの祖母の演技が非常にお下手なわけで、彼女の棒読みもしんどかったです。
とりあえず考察してみる
このままだと文句しか言ってないので本作が表現したかったことをひも解いてみる。
まずこの「誰かの不幸」とは「家畜」のメタファーではないかと考えます。祖父祖母の豚の鳴き声もそれを表しているのではないだろうか。
我々は牛や豚、鶏を殺して食べます。彼らの命を犠牲にして生き延びています。
これは一方からみれば非常に傲慢なことなのかもしれない。
でも本作のメタファーはこの一点のみな気がします。
このシステムに反発した叔母さんは山の中で暮らしてたけど、結局彼女も生贄によって生きながらえていましたね。
この叔母さん然り、主人公の孫然り、システムに反発しても気づけばそのシステムの中に取り込まれるわけです。
すなわち、我々人間も動物を当たり前のように殺して生きているけど、それは一歩引けば「残酷な行為が日常化していることの怖さ」を表現しているのかもしれません。
けどあの叔母さんはなんでわざわざ自ら死ににいったのでしょう?自分が生贄になろうとしたのか?
これも疑問です。
弟は両親から教育されたのでしょう。ここから「教育という名の洗脳の怖さ」なんかも描いてるのかな。
「生贄」と言えばあのイジメられていた学生も、生贄を見つけたのでしょう。「これ持ってけよ」と今度は彼はイジメられる側からイジメる側になった描写がありました。
つまりこれってこの世にはイジメや、犠牲は仕方がないという諦めにも似た思想も感じられ、嫌悪感を感じてしまいました。
まぁ、こんな感じで考察してみても特に目新しいものを感じられません。
主演の古川琴音は『Cloud』っていう映画に主演していて個性的な顔の作りだなと思ったけど、あの作品も酷かった。いい作品に恵まれることを望みます。
本作品に関わった人たちは全員黒歴史なので。









