2019年1月25日に公開された日本映画『そらのレストラン』。
大泉洋が主演を務めた北海道を舞台とする映画企画の第三弾で、『しあわせのパン』(2012)、『ぶどうのなみだ』(2014)に続く作品。
酪農家のチーズ作りを中心に、生産者と料理人の交流、地域の食材の魅力、家族や仲間との絆を描く。2019年のソノマ国際映画祭では、日本映画として初めて外国映画最優秀審査員賞を受賞した。
だけど、つまらなかった。お世辞にも厳しい作品でした。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:そらのレストラン
原題:そらのレストラン
公開年:2019年1月25日
製作国:日本
上映時間:126分
監督:深川栄洋
脚本:深川栄洋、土城温美
原作:なし(オリジナル脚本)
出演:大泉洋、本上まなみ、岡田将生、マキタスポーツ、高橋努、石崎ひゅーい、眞島秀和、風吹ジュン、小日向文世、安藤玉恵、鈴井貴之
ジャンル:ヒューマンドラマ
あらすじ

北海道の海辺に位置するせたな町で、妻の佐弥子と娘とともに暮らす設楽亘理(大泉洋)。乳牛の牧場を営みながら、自分たちの牛乳を使ったチーズ作りに励んでいた。
亘理には、師匠であるチーズ職人の大谷に認められるチーズを作るという夢があった。しかし、なかなか思うようなチーズができず、試行錯誤を続けていた。
そんなある日、札幌から訪れた有名レストランのシェフが、地元の食材を見事な料理に仕上げる。その味に感動した亘理は、せたな町の食材の魅力を多くの人に伝えたいと考え、一日限りのレストランを開くことを思いつく。
無農薬の野菜や地元の食材を育てる仲間たちも協力を約束するが、準備を進めるなかで、亘理のチーズ作りにも大きな転機が訪れる。
今さら北海道の魅力を語られても……
本作は、北海道せたな町で活動する生産者グループ「やまの会」をモデルにした作品。実在する生産者たちの取り組みをもとに、酪農家とその仲間たちが一日限りのレストランを開くまでを描いている。
食に関心のある私としては興味を持てる題材だったものの、映画としてはどうにも退屈だった。
何より、終始感じていたのが強烈な既視感。
北海道の雄大な自然、豊かな食材、温かい人々、仲間との絆。そして、命をいただくことへの感謝。
いや、もう全部知ってるよ。
そもそも北海道の魅力なんて、『北の国から』をはじめ、これまで数多くの映像作品で描かれてきた。
しかも『北の国から』では、北海道の素晴らしさだけでなく、厳しい自然環境や生活の苦労、人間の嫌な部分まで描かれていた。北海道の描かれ方について地元から異論が出ることもあったほど、決して美しい部分だけを切り取った作品ではなかった。
ところが本作は、どこを切り取っても北海道への愛情に満ちている。
自然は美しく、食材はおいしく、人々は善良で、仲間たちはいつも温かい。
もう北海道が素晴らしいのはわかったから、と言いたくなる。
特に鼻に気になったのが岡田将生演じる青年が、東京でエリートとして働いていた頃はトップの成績を収めても孤独だったと語る場面。
ところが北海道に来たことで、温かい仲間に囲まれ、孤独ではなくなったという。
いや、それはお前次第やんけ。
東京にだって温かい人はいるし、北海道にだって冷たい人はいる。北海道で孤独に暮らしている人もいれば、東京で充実した人間関係を築いている人だっているだろう。
なぜ北海道を持ち上げるために、わざわざ東京を冷たく孤独な場所として描く必要があるのか。
こういう「都会は冷たいけれど、田舎には本当の人間らしい暮らしがある」という使い古された価値観に、どうにも苛立ちを覚えてしまう。
北海道の魅力を描くこと自体は構わないが、そこで暮らす人々を理想化する姿勢が、どうにも押しつけがましい。
これが金沢や山梨を舞台にした作品だったら、また違った印象を受けたかもしれない。
北海道という土地には、すでに多くの人が共有しているイメージがある。そのイメージをそのまま映像化されても、今さら新しい発見にはつながらない。
感動の押し売りにうんざり
本作で特に野暮ったいと感じたのが、岡田将生演じる青年が、自分の育てた動物を食べる場面。
最初は食べることに抵抗を感じていたものの、実際に口にすると涙を流しながら「旨いです」と感動する。そして周囲のみんなが笑い合う。
まあ、そうなるだろうね。
人間はほかの生き物の命をいただいて生きている。
これは紛れもない事実だし、私自身、食に向き合ううえでずっと以前から考えてきたことでもある。
動物がかわいそうという感情だけで食を語る人や、動物愛護を訴える人たちにも、ぜひ考えてほしいテーマではある。
ただ、それを改めて俳優が涙を流しながら演じられても、正直「今さら?」という感覚が拭えない。
問題はすでに理解していることを、まるで人生の大発見であるかのように感動的に演出すること。
そして本作には、こうした場面があまりにも多い。
あとは男たちが集まってUFOを呼ぼうとするシーン。
大の大人たちがくだらないことをして盛り上がり、それを女性たちが温かい目で見守っている。
おそらく作り手としては、少年の心を忘れない男たちの無邪気さや、そんな仲間たちの微笑ましい関係性を描きたかったのだろう。
いや、だから何なんだよ。
男たちが楽しそうにしている。それを女たちが優しく見守っている。
「こういう仲間っていいよね」「大人になっても無邪気で素敵だよね」とでも思わせたいのだろうか。
ならねぇよ。そんな単純じゃねぇよ。
登場人物たちだけが楽しそうに盛り上がっていて、観客である私は完全に置いてけぼり。
しかも、男たちはみんな似たような陽気さを持ち、女性たちはそれを温かく受け止める。
人物の個性というより、作り手が理想とする人間関係を延々と見せられているような感覚である。
さらに、大谷さんの病気をマキタスポーツ演じる石村が仲間に黙っていたことに対して、全力で怒り出す人物までいる。
いや、何か事情があって黙っていたとは考えられないのか?
本人の意向を尊重したのかもしれないし、周囲に心配をかけたくなかったのかもしれない。
それなのに、まず怒りを爆発させる。
これまで散々、仲間の温かさや絆を描いてきたのに、肝心なところで相手の事情を察しようとしない。
登場人物たちはみんな善良なんだけど、どうにも思考が単純なんだよね。
嬉しいときは全力で喜び、悲しいときは泣き、怒るときは大声で怒る。
感情表現は大きいのに、人間としての複雑さが感じられない。
結局、何を見せられているんだろうと思ってしまう。
後半は大泉洋の個人的な悩みに脱線。映画としての面白さはどこにあるのか
そして、後半になるとさらに退屈さが増していく。
そもそも本作は、北海道の生産者たちが協力して、一日限りのレストランを開くという物語だったはずなのに、後半になると大泉洋演じる亘理が「チーズ作りをやめる」「牧場を手放す」と言い始める。
そして今度は、そんな亘理を仲間たちが説得する話になっていく。
いや、レストランを作る話はどこへ行ったんだよ。
もちろん、主人公が挫折し、それを仲間たちが支えるという展開自体は珍しくない。
ただこの映画の場合、そこまでの流れがあまりにも予定調和。
どうせ最後は仲間たちに励まされて、またチーズ作りを続けるんだろ?そんな展開が容易に想像できてしまう。
一日限りのレストランを実現する過程で、生産者や料理人たちがどんな困難に直面し、どう乗り越えていくのか。そこをもっと見たかった。
ところが、物語は主人公の個人的な悩みへと移ってしまう。
そもそも本作を観ていて、ずっと疑問だったことがある。
自然の野菜はおいしい。北海道の食材は素晴らしい。命をいただくことは尊い。仲間は大切。
いや、全部知ってるよ。
では、この映画を観ることで、私は何を新しく感じればいいのか?
すでに知っていることでも、新しい視点や意外な展開、優れた演出があれば、観客の心を動かすことはできるはずだが、本作にはそのどれもが乏しい。
何より、登場人物たちがみんな善良で、感情表現もわかりやすく、物語の展開まで予想通り。
美しい北海道の風景を映して、食材のおいしさを語り、仲間たちが笑い合う。
結局、私にとって本作は、ただの北海道の観光PR映像に、ありきたりな人情ドラマをくっつけたような映画だった。





