2024年に放送されたドラマ『不適切にもほどがある!』。
宮藤官九郎が脚本を手掛けたオリジナルドラマ。昭和と令和の価値観の違いをコミカルに描きながら、コンプライアンス、家族、教育、働き方など現代社会が抱える問題にも鋭く切り込んだ。
阿部サダヲ演じる主人公・小川市郎の豪快な言動と、人情味あふれるストーリーが話題となり、2026年にはスペシャルドラマも放送された人気作品である。
ところが本作、実は放送中にも度々炎上していたという。
なぜ?
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:不適切にもほどがある!
原題:不適切にもほどがある!
放送年:2024年
製作国:日本
話数:全10話
脚本:宮藤官九郎
演出:金子文紀、坂上卓哉、古林淳太郎、渡部篤史、井村太一
出演:阿部サダヲ、仲里依紗、磯村勇斗、河合優実、坂元愛登、三宅弘城、袴田吉彦、中島歩、山本耕史、古田新太、吉田羊
ジャンル:ヒューマンドラマ・コメディ・タイムスリップ
あらすじ

昭和61年(1986年)を生きる中学校教師・小川市郎は、ある日突然2024年の令和へタイムスリップする。昭和では当たり前だった言動が令和では「不適切」とされる時代に戸惑いながらも、人々との交流を重ねていく。一方で、市郎は昭和と令和を行き来する中で、自身や家族、そして時代そのものと向き合っていく。
クドカン自身の鬱憤
本作を観ていてまず感じたのは、これはクドカン自身が長年テレビ業界で感じてきたストレスや違和感を、思い切り作品にぶつけたドラマなのではないかということだ。
現代はコンプライアンスの時代である。パワハラ、セクハラ、不適切発言など、何をするにも気を遣わなければならない。もちろんそれ自体は悪いことではないが、一方で「息苦しさ」を感じている人も少なくないだろう。
特にテレビ業界はスポンサーや視聴者の目を強く意識する世界だ。作り手が本当に言いたいことよりも、「炎上しないこと」が優先される場面も増えているはずである。
だからこそ本作は痛快だ。昭和からやって来た主人公・小川市郎の言動を通じて、多くの人が心のどこかで思っている本音を次々とぶつけていく。視聴者の共通認識を代弁しているようでありながら、その根底にはクドカン自身の叫びのようなものも感じられる。
本作は、コンプライアンス社会への風刺であると同時に、一人の作り手が抱えてきた鬱憤をエンターテインメントへ昇華した作品なのだと思う。
結局何やっても文句言うやつは言う。
本作、実は放送中にBGLTの人たちなどから批判が殺到したようだ。
吉田羊演じる社会学者の息子にできた友達が実は自分の未来の旦那という設定で、未来の旦那がLGBTを匂わせる。それに対して吉田羊のセリフ。
「井上君、あなたはモテてないからって女を軽視してる。~中略~そういうそういう男に限ってホモソーシャルとホモセクシャルを混同して、同性愛に救いを求めるの。」
なるほど、ジェンダー問題を専門にする社会学者のセリフにしては危なっかしいかもね。
トリンドル玲奈が演じたインティマシーコーディネーターへのやんわりとした「めんどくせぇな」的な流れから、「好きに演じな」という小川さんの一言でそのあとなんとなくいい感じに話が進んでいくことから、インティマシーコーディネーターという仕事に対しての扱われ方も批判の対象になったようだ。
はぁ、めんどくせぇな。
批判するやつは何にでも批判したいようだ。人が作ったものならその人の思想が反映されるのは当たり前。
自分の思想と違うから毎回批判してたらキリがない。
そもそもLGBTの人たちの批判って彼らLGBTの人たち自身にプラスに働いてるんですかね?
王道のタイムトラベル作品だからこそ、震災という現実が重く響く
物語の骨格は非常に王道だ。現代と昭和を行き来するタイムトラベルものという意味では、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を彷彿とさせる面白さがある。
ただ、タイムトラベルというジャンル自体はすでに数多く作られてきが、本作では移動手段をバスにしたことや、トイレが時空を繋ぐ入口になるというユニークな設定だろう。自由に行き来できそうで実は制約も多く、そのルール作りが物語の緊張感にも繋がっていた。
序盤の市郎はまさに昭和のおやじそのもので、現代の価値観から見れば不適切発言の連発で、嫌われ役に近い。しかし物語が進むにつれて、ただの頑固親父ではなく、人情味あふれる魅力的な人物へと変わっていく。この変化も本作の大きな見どころだった。
そして本作最大の転換点が、娘・純子と市郎が阪神・淡路大震災で命を落とす未来を知る展開である。
視聴者としては当然、「未来を変えるのか」「娘を救うのか」という方向へ物語が進むと予想するも、そこを安易な感動路線には持っていかない。むしろその問題を正面から扱いながらも、簡単な答えを出さないまま最終回へ向かっていく。
2026年のスペシャルドラマではその後も描かれるが、結局のところ震災そのものを都合よくなかったことにはしない。この判断にはクドカンの誠実さを感じた。
もし主人公たちだけが助かる物語にしてしまえば、多くの犠牲者がいた現実との向き合い方が難しくなってしまう。本作があえて曖昧さを残したのは、その重みを理解していたからではないだろうか。
王道のタイムトラベル作品でありながら、阪神・淡路大震災という現実の悲劇を物語の中心に据えたことで本作は単なるコメディで終わらず物語に濃厚さが増したように思う。
笑わせて泣かせる緩急と、俳優陣の熱演が最後まで心地いい
本作の魅力は、コンプライアンスへの風刺だけではない。何よりも笑いと感動の振り幅が異常なほど大きいことだ。
例えば三話目の八嶋智人演じるテレビ局のシーン。山本耕史演じるプロデューサーが「それはダメ」「これもダメ」と次々にコンプライアンスを振りかざしていく回は、本作の面白さが最も凝縮されたエピソードの一つだろう。視聴者が日頃感じている窮屈さを、そのまま笑いに変えてしまう。
しかしこのままコメディ路線でいくかと思ったらそのあとでは阪神・淡路大震災による市郎と純子の未来が示される。
この感情の落差こそが本作最大の武器だった。
それでも作品全体が暗くならないのは、阿部サダヲ演じる小川市郎の存在が大きい。とにかく明るく、前向きで、思ったことをズバズバ言う。その姿は時に乱暴にも見えるが、どこか気持ち良さがある。
そして忘れてはいけないのが、突然始まるミュージカルシーンである。
正直なところ、「本当に歌にする必要があったのか」と思う場面もある。しかし、その突飛さも含めてクドカン作品らしい。賛否は分かれるかもしれないが、他のドラマにはない独特の味になっていた。
さらに印象的だったのは俳優陣の楽しそうな演技だ。吉田羊は回を追うごとに存在感を増し、ムッチ先輩にいたっては途中から完全に愛されキャラへと進化していく。
山本耕史も抜群のキレ味を見せていたし、脇を固めるキャストたちもそれぞれが強烈な個性を発揮していた。
キャラクターが物語の途中で勝手に育っていくような感覚があり、それを演じる俳優たち自身もこの世界観を心から楽しんでいるように見える。
実際、スペシャル版に出演した江口のりこも脚本を読んで爆笑したと語っていたが、その空気感は画面越しにも伝わってきた。
笑わせて、泣かせて、最後には少し考えさせる。そして何より出演者全員が楽しみながら作っている熱量が伝わってくる。本作は、そんなテレビドラマならではの幸福なエネルギーに満ちた作品だった。
宮藤官九郎作品3選





