【映画】ザ・ホワイトタイガー(2021)|「鶏小屋」の意味とは?支配される側が抜け出せない理由【考察】

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ザ・ホワイトタイガー(2021)|富裕層の夫婦を乗せて車を運転する主人公バルラムを描いた水彩画風イメージ Netflixオリジナル

2021年に公開された映画『ザ・ホワイトタイガー』。

アラビンド・アディガのブッカー賞受賞小説「グローバリズム出づる処の殺人者より」を原作としたNetflix映画。

監督・脚本は「ドリームホーム 99%を操る男たち」のラミン・バーラニ。インド社会に残るカースト制度や貧富の格差を題材にしながら、単なる社会問題映画ではなく、一人の青年の野心と変貌をブラックユーモアを交えて描いている。

本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。

基本情報




・作品名:ザ・ホワイトタイガー
・公開年:2021年
・監督:ラミン・バーラニ
・脚本:ラミン・バーラニ
・音楽:ダニー・ベンシ、ソーンダー・ジュリアーンズ
・ジャンル:ドラマ
・上映時間:125分
・製作国:インド・アメリカ
・主なキャスト:アダーシュ・ゴーラブ、ラージクマール・ラーオ、プリヤンカー・チョープラー

あらすじ




ザ・ホワイトタイガー(2021)|富裕層の夫婦を乗せて車を運転する主人公バルラムを描いた水彩画風イメージ

インドの貧しい村で生まれ育ったバルラムは、優秀な成績から「ホワイトタイガー」と呼ばれながらも、家の事情で学校を辞めて働くことになる。

やがて裕福な実業家一家の運転手となった彼は、都市部で暮らす中でインド社会の圧倒的な格差と支配構造を目の当たりにする。主人に忠誠を尽くしながらも、「使用人」として生きる未来に疑問を抱いたバルラムは、自らの人生を変えるため危険な決断を下していく。

犯罪を犯すしかない




インド映画だけど、歌やダンスはない。自分にはこれがちょっと斬新だった。

主人公バルラムは劇中のなかで「サクセスストーリー」と言ってるけど特にサクセスストーリーではありません。

人は生まれながらにして鶏の小屋にいる者とそうでない者に分かれる。

鶏の小屋にいる者はそれを当たり前として信じて疑わない。

つまり搾取される者は生涯搾取され続け、貧困のまま一生を終えてしまう。

これはインドという社会構造がもたらす悲劇だ。

バルラムは裕福なアショクに運転手として仕えることになる。ここから何か驚くようなアイディアでアショクを出し抜いて成功していくストーリーを期待したんだけど、結局普通にアショクを殺して金を奪ってのし上がるという話でした。

だからラストにかけてのカタルシスも特にない。

指名手配されても「バルラムと似た顔が多いから捕まらない」ってこれマジですか?インドって検挙率低いの?

「貧乏人が成功するには犯罪か政治的なことをするしかない。」

バルラムはもはや開き直ってるやん。もっとひねったストーリーかと思ったらただの犯罪映画やん。

だから本作では一人の男の貧困からのサクセスストーリーを期待すると肩透かしを食らいます。

本作は徹底して支配する者と支配される者の運命と闇のインドの社会構造を淡々と見せられている感じ。

たとえば富裕層のアショク夫妻がひき逃げを犯した際、バルラムに身代わりに自首させるエピソードが登場したり、バルラムが後半で競合を潰すため警察へ賄賂を渡すシーンだったり、

金を持つ者が法を実質的に支配でき、司法の抜け穴を使い、金を持たざる者がその犠牲になる構造を描いている。

支配される側はなぜ支配を受け入れるのか




主人公バルラムは優秀な頭脳を持ちながらもインドの貧しい村に生まれ、家族の事情で学校を辞め、働かなければならなくなる。

彼は常にここから抜け出したいと思っているが、彼の家族は貧困を当たり前として受け入れていてこの暮らしをなんとかしようという発想すら出てこない。

なぜ?と思うでしょ。

その理由を映画は「鶏小屋」という言葉で説明している。

鶏は目の前で仲間が殺されているのを見ても逃げない。自分も殺されると分かっているのに逃げない。

なぜならずっとそうやって生きてきたからだ。

支配されることが当たり前だから。

この考え方はカースト制度だけの話ではなく社会のありとあらゆる場所でも同じことが言えるかもしれない。

たとえば浮かんだのが愚痴ばっかのサラリーマンだ。

愚痴ばっかのサラリーマン




この映画を観て自分が思ったのはまさに「愚痴ばっかのサラリーマン」。

雇う者と雇われる者。

例えば会社員で先月よりも数字を2倍に上げたとする。しかしその月の給料はいきなり2倍になるわけもなく、せいぜい一年に一回の査定で数千円が上がって、ボーナスがはずむくらいだ。

つまり経営者に搾取されているのだ。でも仕方がないよね。

搾取されるのが嫌であれば、自分の給料の低さに愚痴を言うのであればさっさと辞めて起業すればいいだけの話である。

話は脱線しますが、サラリーマンをやってた頃先輩が僕にこんなこと言った。

「本当に優秀なやつはここにはいない。さっさと辞めている。」

新卒で入った自分にはいまいち理解ができなかった。

だって優秀な人はその会社でどんどんのし上がっていって、いずれ社長なんかになる人のことなんじゃないかと考えていたからだ。

だけどその先輩が言ったのは、誰かが作ったシステムの中にいるのではなく、システムを自ら構築して搾取する側にまわる人間が優秀ということだったのだ。

断っておくが、別にサラリーマンが優秀じゃないなんて言っていない。会社に仕えて能力を発揮する人間だっているわけで、国民全員が起業家なんかになってしまったらこの国は終わってしまう。

でもたまに居酒屋やカフェで聞く愚痴ばっかのサラリーマンの話には本当にうんざりさせられる。愚痴言ってるなら環境変える努力をなぜしないのか自分には理解に苦しむんだけど、この映画を観てハッとさせられた。

愚痴ばっかのサラリーマンは環境を変えるという発想すらないのだ。それは本作のバルラムの家族そのままであると。

本作はインドのカースト制度を描いた映画でありながら、実は世界中の格差社会に向けた物語でもある。

そして何より恐ろしいのは、私たち自身もまた鶏小屋の中で生きているかもしれないということだ。

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