1988年に公開された映画『となりのトトロ』。
本作は、もはや説明不要の宮崎駿監督の代表作である。
私の中では、ウォルト・ディズニーがミッキーマウスを生み出したように、サンリオがハローキティを生み出したように、宮崎駿が生み出した最高のキャラクターこそ「トトロ」だと思っている。
さて、そんなトトロだが実は本作、成長とともに見る視点が変わっていく映画でもある。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:となりのトトロ
原題:となりのトトロ
公開年:1988年
製作国:日本
上映時間:86分
監督:宮崎駿
脚本:宮崎駿
原作:宮崎駿
出演:日髙のり子、坂本千夏、糸井重里、島本須美、北林谷栄、高木均
ジャンル:アニメーション、ファンタジー、家族
あらすじ

入院中の母親の近くで暮らすため、父親とともに田舎の古い家へ引っ越してきたサツキとメイ。
新しい家には、黒く小さな不思議な生き物が潜んでいた。やがて妹のメイは、庭から森へ続く道を進み、大きな体をした不思議な生き物と出会う。
メイは、その生き物を「トトロ」と呼ぶ。
最初はメイだけが見ていたトトロだが、サツキも雨の日のバス停でトトロと出会う。姉妹はトトロから木の実をもらい、夜の森を飛び、不思議な時間を過ごしていく。
サツキとメイの誕生秘話
この作品には制作秘話もある。
実は『火垂るの墓』との同時上映作品なのだが、当初『火垂るの墓』は60分程度の予定だったものが、90分近くまで伸びることになった。
それに合わせて『となりのトトロ』も「じゃあ80分くらいまで伸ばそう」という話になり、その結果、「んなもん姉妹の設定にすりゃあ、20分伸びんだろ」ということで生まみ出されたのがサツキとメイという姉妹だったという。
つまり物語を動かすうえでは本来必要ない姉妹のシーンを付けくわえられたことになる。
「お父さんお花屋さんね」
「メイのバカ!」
「うそじゃないもん、ほんとだもん!」
しかしそれが逆に自然体の姉妹の表現に繋がるわけだ。
「不必要なものから生まれるもの」って実はあるんだよね。
草壁タツオという超優秀な親父
子どもの頃、この映画は完全にサツキとメイ目線で観ていた。
でも大人になるとこの映画はまったく違う作品になる。
女性ならお母さん目線で観るだろうし、男性ならお父さん目線で観るだろう。
私は二児の父親になった今、完全に草壁タツオ目線で観ている。
彼は32歳。大学で非常勤講師をやりながら翻訳の仕事で生計をたてている。
そしてこの親父が本当に素晴らしく、子どもの頃には全然気付かなかったが、彼の発言は名言だらけなのだ。歩く名言野郎なのだ。
例えばサツキとメイとタツオで夜に風呂に入ってるシーンにて、
「みんな笑ってみな。おっかないのが逃げちゃうから。」
「恐怖」というのは自分が怖いと思った瞬間にどんどん膨らんでいくもの。恐怖を作り出しているのは自らなのだ。
笑うことで恐怖は消えてなくなる。自分のマインド次第で恐怖は克服できるのだ。
自然に子供たちにその真理をユーモア交えて教えてあげるタツオ。
しかもそのあと風呂場でゴリラのモノマネまでしているじゃないか。そこまで頼んでないのにサービス精神旺盛というかキャラ崩壊してるというか。
そして、
「お化け屋敷に住むのは子どもの頃からの夢だったんだ。」
普通なら子供が引っ越してきたばかりの家にバケモノがいると発言すれば「何いってんだ?」となるはずだが、彼は逆にそれに乗っかるわけだ。
「逆に」というか、なんてロックなお父さんなんだ。
そして極めつけがメイがトトロを見たと話す場面。
サツキからは「本当に?」という疑いの空気になる。
トトロなんて得体の知れないものを見たと自分の娘が言い出したら、精神を疑うかもしれないが、ところがここでもタツオは違う。
「うん、お父さんもサツキも、メイが嘘つきだなんて思っていないよ。メイはきっと、この森の主に会ったんだ。それはとっても運がいいことなんだよ。」
と言い放つ。
これ、本当にすごい返しだと思う。
突拍子もないことを言い出した我が子に対して、大人の常識ではかり、頭ごなしに否定にかかるのではなく、子供の発言を優しく肯定してあげる。
「トトロがこの森の主だ」なんてとっさに思いついたとしか思えない。
そして続けて、
「でも、いつも会えるとは限らない。」
いつも会えるわけじゃないから今日、いまこの場で証明しなくていいんだよとフォローまでいてれる超高等テクニック。
子供の想像力を大切にしてあげながら、現実との折り合いも自然につけている。
あっぱれだ。親として120点の返答ではないだろうか。
大人になった今、この作品で一番尊敬している人物は草壁タツオかもしれない。
カンタのおかあちゃんもやべぇ
個人的に好きなのが、カンタのお母さんである。
雨の日にカンタはサツキとメイに傘を貸してあげるシーン。カンタは言葉を発することなく傘を押し付ける形で貸してあげるというのだ。
思春期ながらの照れくささと、いいことをしたという高揚感が彼をかきたて雨の中笑いながら家に帰るカンタ。
しかし家へ帰ると、カンタの母親から「傘どこやった?」と聞かれ、「忘れた。」と答える。
すると、
「雨の日に傘忘れるバカがどこにいるんだい。」
まさに大正論である。ひろゆきばりの大正論である。
雨降ってるのに傘を忘れる人間はまともではない。しかも本降りだ。
その後、サツキたちが傘を返しに来て事情を説明すると、
「いいのよ。いつだって泥だらけなんだから。ちっとはきれいになるでしょう」
と江戸っ子みたいな切り返しがカッコ良い。
自らの子供は天からの雨で綺麗になるだろう。もはや「汚い」といのが大前提なのだ。
いまのやたらめったら過保護にかわいがる親に聞かせたいセリフじゃないか。
脇役にまで、こんな魅力を持たせている作品はそう多くない。
『となりのトトロ』は二度と生まれない作品
私は子どもが生まれてからこの作品を車の中で100回以上観ている。正確に言えば観させられている。
もう台詞も映像も頭の中で再生できるくらいだ。
それでも観るたびに新しい発見がある。
キャラクター、セリフ、日常描写。
全部が魅力的なのである。
そして、この作品があまりにも大ヒットしてしまったことで宮崎駿はその後ずっと、
「またトトロみたいな作品を作ってください。」と言われ続けることになる。
これ言われるといやなんだよね。
だから宮崎駿はあえて同じことはせず、作品はどんどんテーマ性が強くなり、難しい方向へ進んでいくことになる。そういう意味では彼は本物のクリエーターなのだ。私は合わないけども。
だからこそ『となりのトトロ』はおそらく二度と生まれない奇跡の産物である。




