【映画】トイ・ストーリー5(2026)|ひどい?ハゲたウッディの存在感0。デジタル化がテーマだけどまとまりなし【ネタバレ考察】

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アドベンチャー

2026年に公開された映画『トイ・ストーリー5』。

本作は、ディズニー&ピクサーによる長編アニメーション映画で、『トイ・ストーリー』シリーズ第5作。

最新テクノロジーとおもちゃの存在意義をテーマに、ウッディとバズ・ライトイヤーが再び手を取り合い、新たな冒険を繰り広げるという作品だが、なかなかまとまってない印象です。

本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。

基本情報




作品名:トイ・ストーリー5
原題:Toy Story 5
公開年:2026年
製作国:アメリカ
上映時間:102分
監督:アンドリュー・スタントン
共同監督:ケナ・ハリス
製作:リンジー・コリンズ
出演:トム・ハンクス、ティム・アレン、ジョーン・キューザック ほか
ジャンル:アニメーション/アドベンチャー/ファミリー/コメディ

あらすじ




ボニーのもとで暮らすバズやジェシーたちは穏やかな日々を送っていた。しかし、子どもたちが最新型の電子タブレット「リリーパッド」に夢中になったことで、おもちゃたちは「もう必要とされていないのではないか」という不安を抱き始める。

仲間からのSOSを受けたウッディは再びボニーのもとへ戻り、バズと再会。子どもたちの心を奪う新たな脅威に立ち向かいながら、おもちゃとしての存在意義と絆を守るため、新たな冒険へ踏み出していく。

デジタル化は悪なのか?




本作の最大のテーマは、間違いなくデジタル化だ。

子どもたちの遊びの中心がおもちゃからタブレットなどのデジタルデバイスへ移り変わった現代を描いたのは面白いテーマだと思いました。

劇中では、グループチャットやデジタル機器によって人間関係がどこか希薄になり、本当に大切なものを見失っているような描写も多い。

そのため、序盤から中盤までは「デジタル化への批判」をかなり強く打ち出しているように感じられた。

しかし物語を観ていると、肝心の問題解決にはデジタルデバイスが大きく貢献しているかではないか。

もしデジタル技術が存在しなければ解決できなかった場面ばかりで作品自体がデジタルの恩恵を受けている。

なんなら本作のCGもデジタルなのでお前が言うな的な。

そのため、本作が本当に伝えたかったのは「デジタルは悪だ」という単純なメッセージではないのだろう。アナログなおもちゃにも価値があり、デジタルにも便利さがある。

その両方が共存して初めて、人とのつながりや遊びは豊かになるということを描きたかったのではないかと感じた。

しかし本作を観るとデジタル化を批判したいのか、それとも共存を描きたいのか、メッセージが最後まで一本にまとまり切っていない印象を受けた。

ウッディの存在感0




本作を観ていて一番驚いたのは、実質的な主人公がウッディではなくジェシーになっていることだ。

シリーズの顔であり、これまで物語の中心にいたウッディだが、本作では問題解決にほとんど関わらず、ストーリーを動かしているのはジェシーだった。

そしてウッディの腹が出て、ハゲているという設定もなかなか斬新。人形なのに腹が出てるとはいったいどういうこと?というツッコミは野暮かな。

肝心の活躍があまりにも少なく、「主人公」としての存在意義がほとんど感じられなかった。

というか前作の『トイ・ストーリー4』で彼は仲間と距離を置いて外の世界にいったわけで、彼は外野の人間である。

そのくせ久々に仲間のもとにやってきてリーダー面するのもどうかと思う。

老害だろ。

そして大量のバズ・ライトイヤーが登場する展開。50体近いバズが一斉に現れるシーンはインパクトこそあるものの、物語上の必然性はあまり感じられなかった。

馬に乗って大勢で駆け抜ける合戦のようなシーンをやりたいだけだったのかな?

ストーリーに必要不可欠だったかと言われると疑問が残る。シリーズファンを盛り上げるためのサービスシーンに見え、少し無理やり感を覚えた。

さらに気になったのが、シリーズを支えてきたキャラクターたちの声の変化だ。長年親しんできた声優陣から大きく変わったことで、どうしても以前のシリーズとの違和感は拭えない。作品の事情を考えれば仕方のない部分ではあるものの、シリーズファンほど気になってしまうポイントだろう。

結果として、ジェシーが中心となって物語を引っ張る構成自体は悪くないが、ウッディが最後まで決定的な役割を果たさないため、「なぜ彼がこの物語に必要だったのか」という疑問が残ってしまった。

ジェシーの怒りに共感できず




本作で最後まで引っ掛かったのは、ジェシーの怒りの理由だ。

彼女は新しいデジタルデバイスを敵視し、「お前たちのせいで私たちは遊んでもらえなくなった」「子どもたちは子どもらしい遊びをしなくなった」と繰り返し訴える。しかし、その怒りにはどうしても共感しきれなかった。

というのも、おもちゃはデバイスが登場する前から、子どもが成長すれば自然と卒業していく存在だからだ。一方でデジタルデバイスも、時代が進めば古い機種は買い替えられ、新しいものへと置き換わっていく。

結局はどちらも「いつか役目を終える」という点では同じであり、ジェシーの怒りはデバイスそのものというより、「自分が愛されなくなった」という寂しさからくる八つ当たりのようにも映った。

ラストではジェシーが本当の友達を見つけるという結末を迎えるが、その子どももいずれ成長し、おもちゃを卒業していく可能性が高い。そう考えると、物語の根本的な問題は何も解決していないように感じた。

デバイスもおもちゃも、時代とともに役割が変わるという現実は変わらないからだ。

また、冒頭で新しいデバイスが登場する構図は、第1作でバズ・ライトイヤーがウッディの前に現れた場面を意識したものだろう。しかし、見方を変えれば「また同じテーマを繰り返している」とも言える。シリーズの原点をなぞる演出ではあるものの、新鮮な驚きは少なかった。

もちろん映像やキャラクターの魅力は健在だ。しかしテーマや物語の構造を見る限り、このシリーズはひとつの到達点に達してしまったようにも感じる。

もし続編が制作されるとしても、ここから新たなテーマを大きく広げるのは簡単ではないだろう。シリーズとしての限界を少し感じさせる一本だった。

TOHOシネマズっていま大人2,100円もするのね。高くなったなぁ。

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