1994年に公開された映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』。
ウィンストン・グルームの小説『フォレスト・ガンプ』を原作に、ロバート・ゼメキスが監督、エリック・ロスが脚本を務めた。
トム・ハンクス演じるフォレスト・ガンプの半生を、1950年代から1980年代にかけてのアメリカ社会や歴史的事件と重ねながら描く。
なんでしょう、本作に関しては観る度に涙腺が緩くなっていくような感覚があります。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:フォレスト・ガンプ/一期一会
原題:Forrest Gump
公開年:1994年
製作国:アメリカ
上映時間:142分
監督:ロバート・ゼメキス
脚本:エリック・ロス
原作:ウィンストン・グルーム『フォレスト・ガンプ』
出演:トム・ハンクス、サリー・フィールド、ロビン・ライト、ゲイリー・シニーズ、ミケルティ・ウィリアムソン
ジャンル:ヒューマンドラマ/コメディ/ロマンス
あらすじ

アラバマ州で母親と暮らすフォレスト・ガンプは、人より知能は低く、幼い頃には脚に装具を付けて生活していた。学校ではいじめを受けるが、幼なじみのジェニーだけは彼を優しく受け入れる。
ある日、いじめっ子から逃げるうちに驚異的な脚力を発揮したフォレストは、その能力をきっかけに大学のアメリカンフットボール選手として活躍する。その後も軍隊への入隊、ベトナム戦争、卓球、エビ漁など、目の前のことにひたむきに取り組みながら、本人も意識しないままアメリカ史に残る出来事へ次々と関わっていく。
一方、フォレストが一途に思い続けるジェニーは、彼とは対照的な人生を歩み続ける。二人は何度も離れ、再び出会いながら、それぞれの人生を進んでいく。
バカはバカなことすることです。
この映画は名言の宝庫だ。そしてグサグサ刺さる刺さる。
そして1994年の映画だけどいま観ると非常に現代の感覚と近しいものを感じる。
まず興味深かったのが「普通」という言葉の扱い。
フォレストは子供の頃から知能指数が低く、母親は「あなたはみんなと同じ」と教える一方で、学校側から知能の低さを指摘されると、「人はみんな違うものでしょ」と切り返してみせる。
ここがミソであり、
人と違ってもいいでしょ?個性を大事にしよう。多様性云々・・・まさにいま現代の我々が生きる世界でうったえられているメッセージそのものだ。
自分も親なので、「この子はちゃんとやっていけるのだろうか」と心配する親の気持ちはよく分かるが、子供というのは意外とたくましい。親が愛情を注いでいれば、やがて自分で考え、自分の人生を歩いていく。
フォレストもそうだった。
知能という一つの尺度では人より劣ると判断されても、走る才能を見出され、大学へ進み、ラグビーで活躍して、軍隊へ入り、卓球をやり、エビ漁を始め、本人が意識しないままアメリカ史のさまざまな場面にも関わっていく。
本人には策略も野心もなく、ただ目の前のことを真面目にやっているだけ。
だから「Run, Forrest, Run!」という言葉も、単に足が速いというだけではなく見えてくる。
何も考えず、目の前にある道をひたすら走っていたら、気づけば人生そのものが前へ進んでいたという哲学的なメッセージを感じるのだ。
そして私が特に好きなセリフが、
「あんたバカかい?」「バカはバカなことをすることです」。
人そのものを「バカ」と決めつけるんじゃなく、バカな行為がバカなだけだ。
知能指数、学歴、肩書き。そういう一つの指標だけを見て「あいつはできない」「あいつはバカだ」と人間そのものを決めつけることが、いかに愚かなことなのか。
周囲から「普通ではない」と見られていたフォレストこそ、実は誰よりもまっすぐに生きていた。
逆に「普通」とされる人間たちは、金、名誉、性、成功、自由といった欲望に振り回され、ときに弱く、脆く、汚く描かれる。
この反転が、とても皮肉で面白い。
あとは意外とフォレストをからかう人がいないということ。もちろん子供の頃にはイジメに遭うが、彼は全然悲観してない。
大人になってから彼の知能についてあざけ笑う人が全然出てこないし、むしろまわりは彼の能力を素直に尊敬しているではないか。
これはちゃんと個人の能力を人々が評価している証拠だ。
自分がこの映画が好きな理由がここで、人はみんな違っていいし、その多様性を認めようというメッセージが感じられること。すでに1994年の時点でこれを作ったことが凄い。
フォレストは成長しない。変わらない彼によって、周囲の人間が変わっていく
普通の映画なら、主人公がさまざまな経験をして最後には精神的に成長していくんだろうけど、フォレスト・ガンプは少し違う。
もちろんフォレストだって、戦争を経験し、人の死を知り、成功し、愛する人との別れを経験する。人生経験はどんどん増えていく。
それでも、人間性そのものが驚くほど変わらない。
成功しても驕らない。傷ついても人を疑わない。約束は守る。好きな人をずっと好きでいる。
最初から最後まで、フォレストはフォレストのまま。
では、彼は成長していないのか?
私ははむしろ逆だと思う。
いろんなことを経験したうえで、それでも大事な部分を失わなかっただけなのだ。
変わらないことって悪いことですか?むしろ人として大切にしているものを捨てないことも大事じゃない?
そしてこの映画で本当に変わっていくのはフォレストではなく、彼の周囲の人間たち。
その代表がダン中尉。
戦場で死ぬことを自分の運命だと信じていた男が、フォレストに助けられ、両脚を失う。最初は「なぜ俺を助けた」とフォレストを恨むが生き続けてみると、人生は意外と悪くない。
やがてフォレストと一緒にエビの事業を成功させ、娼婦の女性からフォレストを馬鹿にされたときには誰よりも怒ってみせる。かつて自分を助けたフォレストを恨んでいた男が、いつの間にかフォレストを守る側になっている。
フォレストは誰かを説教して変えようとはしない。
ただ、まっすぐ生きているだけだ。
それなのに、その姿を見た周囲の人間が自分自身の弱さや醜さに気づき、勝手に変わっていく。
だからこれは、「フォレストが成長する物語」というより、自分には「変わらないフォレストによって、周囲の人間が変わっていく物語」に見えた。
しかも彼に関わった人たちは、結果的に人生を好転させていく。
なんて幸せな映画なんだろう。
ちなみにゲイリー・シニーズが演じるダン中尉の膝から下の切断された足は、青いソックスを履かせて撮影し、後からCGで足を消去する手法で撮影されている。実際のゲイリー・シニーズは足はあります。
しかしこの人、イケメンだよね。
ジェニーがフォレストから逃げた理由。
その「フォレストによって変わっていく人間」の中で、一番大きな存在がジェニー。
なぜジェニーは、あれほど自分を愛してくれるフォレストのもとから何度も離れていったのか?
フォレストはあまりにも純粋でまっすぐ。
だから一緒にいると、ジェニーは自分がどれだけ傷つき、どれだけ自分自身を粗末にしながら生きてきたのかを突きつけられてしまう。
望んでもいないような人間関係を繰り返したり、自分を傷つけるように生きてきたジェニーにとって、フォレストの純粋さは救いであると同時に苦しかったのではないか。
別にジェニーが本当に「汚れた人間」だったということではなく、フォレストの隣にいると自分自身がそう思えてしまったのだと思う。
時間が経ち、自分で働き、狭くても落ち着いた家で暮らし、ようやく自分の人生を立て直し始め、そこで初めてジェニーはフォレストと対等に向き合えるようになる。
フォレスト自身は何も変わっていないが、ジェニーが変わったという構造は同じ。
私はこの映画を小学生の頃から何度も観ているが、大人になった今の方が圧倒的に響く。
親になり、仕事をし、人間関係を経験し、失敗したり、誰かを失ったりしてきたからこそ、フォレストのまっすぐさがものすごく胸に刺さる。
今見ると、人をIQや肩書きで判断することの愚かさや、親が子供へ注ぐ愛情、変わることと変わらないこと、誰かをただ信じ続けることの難しさまで見えてくる。
『フォレスト・ガンプ』は、子供でも楽しめるが本当にグッとくるのは、むしろ大人になって、いろんなことを経験してからなのかもしれない。
フォレストは最後までフォレストのままだった。
それがこんなにも尊く見えるようになったこと自体、たぶん私の方が昔とは変わったんだと思う。




