2024年3月1日に公開された日本映画『52ヘルツのクジラたち』。
2021年本屋大賞を受賞した町田そのこの同名小説を、『八日目の蟬』『銀河鉄道の父』の成島出監督が映画化した。
タイトルの「52ヘルツのクジラ」は、ほかのクジラには聞き取れないとされる高い周波数で鳴くクジラに由来する。誰にも届かない声を上げ続ける人々を重ね、児童虐待や家庭内暴力、孤独といった問題を描ているんだけど、
やっぱり自分には合いませんでした。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:52ヘルツのクジラたち
公開年:2024年
製作国:日本
上映時間:135分
監督:成島出
脚本:龍居由佳里
原作:町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』
出演:杉咲花、志尊淳、宮沢氷魚、小野花梨、桑名桃李、金子大地、西野七瀬、真飛聖、池谷のぶえ、余貴美子、倍賞美津子
ジャンル:ヒューマンドラマ
あらすじ

家族から長年にわたって虐待やネグレクトを受けてきた三島貴瑚は、過去を断ち切るように東京から大分の海辺の町へ移り住む。
そこで貴瑚は、母親から虐待を受け、言葉を発することができなくなった13歳の少年と出会う。かつて自分も周囲に届かないSOSを発し続けていた貴瑚は、少年に過去の自分を重ね、彼を救おうと動き始める。
少年との出会いをきっかけに、貴瑚自身が背負ってきた過去や、彼女を救おうとしてくれた人々との記憶も次第に明らかになっていく。
色々詰め込み過ぎ
以前観た『銀河鉄道の父』の成島出監督の作品で、自分にはやっぱりこの監督が合わないなと改めて感じました。
見出しにも書いたように色々と詰め込み過ぎなのだ。
児童虐待、DV、家族による搾取、トランスジェンダーなど問題を一本の映画にするのは「やや忙しい」。
まぁ、まずは一個一個みていこうか。
自分にも子供がいるけれど、自分の子供というのは無条件にかわいい。
だから、自分のお腹を痛めて産んだ子供に「お前なんて死ねばよかった」と言い、愛情を与えず、虐待までしてしまう感覚がまったくもって理解できない。
親から愛されなかった人間は、自分が親になったときに子供を愛することができるのか。逆に言えば、愛情の注ぎ方というのは親から子へ受け継がれていくものなのか。
自分は遺伝のように決まるものではないと思う。
人生の中で誰かと出会い、大切なものを学び、それを自分の中で消化して、今度は別の誰かへ渡していくこともできる。
その意味で、貴瑚と少年・愛の関係は象徴的だった。
二人に血のつながりはない。それでも貴瑚は、自分と同じように親から愛情を与えられず、声を失ってしまった愛を放っておけない。自分が母親から受け取れなかったものを、今度は自分が与える側になろうとする。
そこまでは理解できるが、途中からアンさんの話が入ってくる。
アンさんは貴瑚とは違い、親から愛されなかった人間ではない。しかし生まれたときに割り当てられた性別と自分自身との間に違和感を抱え、別の種類の苦しみを経験してきた人間だ。
ここで一度、この映画は結局、何の話をしているんだろう?と分からなくなった。
児童虐待の話なのか。親子の愛情なのか。トランスジェンダーの話なのか。
さらに貴瑚の交際相手が突然暴力的になる展開にも、少し作為的なものを感じた。物語として貴瑚を追い詰めたいのは分かるけれど、いきなりそんなに暴力を振るう人間になる?
そしてアンさんからの手紙を燃やす行為も理解不能。自分の行いのせいでアンさん自殺したんでしょ?ここにはどう考えても演出の不自然さが残った。
みんな死のうとする
ところが最後まで観ると、散らばっていたものが少しずつ一つにつながっていく。
この映画が描きたかったのは、結局のところ「人は一人では生きていけない」ということなのだと思う。
本作では、孤独を抱えた人間がことごとく自分の命を絶とうとする。
アンさんもそう。貴瑚もそう。そして最後には愛まで死のうとする。
彼らを見ていると、人間は自分のためだけに生き続けることが本当にできるのだろうか、と考えてしまった。
誰かが自分を必要としてくれる。
自分も誰かを必要としている。
誰かのために生きたいと思う。
そういう関係があるから、人は明日も生きようと思えるのかもしれない。
貴瑚も、自分だけのためだったら生き続けることができなかったのかもしれない。しかし愛という少年と出会い、その子を救いたいと思ったことで、自分自身も生きる側へ戻っていく。
そしてアンもまた、貴瑚を大切に思っていた。
貴瑚がその大きさに気づくのは、アンを失ってからだった。
愛されていないと思っていた人間にも、実は自分を大切に思ってくれていた人がいた。
そう考えると、この作品に登場する「愛」は、単なる少年の名前ではない。
人間が生きていくために必要なものそのものを背負った名前だったように思える。
52ヘルツの声は誰にも聞こえない。それでも聞こうとしてくれる人はいる
そして最後まで観て、ようやくタイトルの意味がきれいにつながった。
52ヘルツのクジラ。
ほかのクジラには聞き取れないとされる周波数で鳴くため、その声がほかのクジラに届かない。「世界で最も孤独なクジラ」と呼ばれてきた存在だ。これは元ネタがあるらしい。
貴瑚も、アンさんも、愛も、それぞれが52ヘルツの声を上げていた。
「助けてほしい」
「自分を見てほしい」
「自分の存在を認めてほしい」
声を出しているのに、それが周囲には聞こえない。
だから最初は、児童虐待とトランスジェンダーという別々のテーマを一つの映画に入れたことに違和感があったが、最後まで観ると、抱えている問題が同じである必要はなかったのだと思う。
貴瑚とアンの苦しみは違うし、愛の苦しみもまた違うが、それでも誰にも自分の声が届かないという孤独ではつながっている。
そしてこの映画が最後に示すのは、自分では世界で一人きりだと思っていても、近くには自分の52ヘルツを聞こうとしている人がいるのかもしれない。
映画として言いたいことはわかるものの、色んな問題を詰め込み過ぎて本来伝えたいメッセージが遠回りしてしまっているように思える。おまけに演出は過剰というか不自然だし、やや説教臭い。
相性の問題でしょう。自分は成島出監督合わないなと思いました。





