【映画】夏の砂の上(2025)|気持ち悪い…登場人物の行動が唐突。伝えたいことは?【ネタバレ考察】

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映画『夏の砂の上』をイメージした画像 人間ドラマ

2025年に公開された映画『夏の砂の上

本作は松田正隆による同名戯曲を原作に、玉田真也が監督・脚本を務めて映画化した作品である。

でも戯曲を映画化するのって実はめちゃムズイんですよね。本作はやっぱり映画化するまでもないなという印象が終始残ってしまう。

本作って息子を亡くした男や愛を失った人々が、それぞれの痛みと向き合いながら生きる意味を見出すというもので、テーマとしては結構ありきたりで凡庸。

戯曲の映画化ということで、本作は特に大きな展開がなく淡々と進むのでかなり退屈な映画に感じました。以下、自分が全く刺さらなかった理由を述べていきます。

本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。

基本情報




作品名:夏の砂の上
原題:夏の砂の上
公開年:2025年
製作国:日本
上映時間:102分
監督:玉田真也
脚本:玉田真也
原作:松田正隆『夏の砂の上』
出演:オダギリジョー、高石あかり、松たか子、森山直太朗、高橋文哉、篠原ゆき子、満島ひかり、光石研ほか
ジャンル:ヒューマンドラマ

あらすじ




映画『夏の砂の上』をイメージした画像

幼い息子を事故で亡くして以来、深い悲しみから抜け出せず、仕事も探さないまま妻の恵子と別居して暮らす小浦治。

ある日、治の前に妹の阿佐子が現れ、自分の娘である17歳の優子をしばらく預かってほしいと頼む。父親に置いていかれ、愛情を知らずに育った優子と、息子を失ったことで心の時間が止まってしまった治。互いに孤独を抱える二人の、ぎこちない共同生活が始まる。

雨の降らない乾ききった夏の長崎で、治と優子は衝突しながらも、少しずつ心を通わせていく。やがて治は、別居中の恵子との関係や、息子を失った悲しみにも向き合うことになる。

乾いた長崎と、乾いた登場人物たち




本作は雨がほとんど降らず街全体が乾ききったような長崎から始まる。

まぁ、これが「砂」という表現なんでしょう。

主人公の小浦治は幼い息子を事故で亡くして以降、妻の恵子とも別居中。

新しい仕事を探すでもなく昼間から気だるそうにタバコを吸い、ただ毎日をやり過ごしている。

そう、完全に乾いてます。乾ききっています、オダギリジョー

息子を失った悲しみから立ち直れないというより、もはや時間そのものが止まってしまったように見える。しかもかつて勤めていた造船所もなくなり、なんだか街自体も活気が失われている。

妻の恵子もまた乾いてます。治との関係を終わらせたいと思いながら、長く一緒に過ごしてきた情を完全には捨てきれないでいる。

しかも彼女には別の男性がいる。

そんな治のもとへ満島ひかり演じる妹の阿佐子が17歳の娘・優子を連れてきて突然、2人の同棲生活が始まることになる。

優子は母親に対して文句を言うでもなく、どこか虚ろな表情で状況を受け入れる。彼女は愛されることを知らずに育ってきたという設定でやっぱり乾いてます。

とにかく登場人物みんな乾いてます。

理解できない




物語の最後にはずっと降らなかった雨が突然降り始める。

土砂降りの雨の中、治と優子は子供のようにはしゃぎ全身ずぶ濡れになる。乾ききった街に雨が降ることと、感情を失っていた二人に感情が戻るシーンであり、一応はタイトルの伏線回収はされるのだが・・・

その直前に、

二人が感情を出してここで抱き合うシーン違和感でしかないのだ。

「私、おじちゃんと一緒ならどこでもいくよ」

いやいや、ここまで二人がこんなに近づくシーンってあった?

終始二人はつかず離れずの距離感にしか見えなかったけど、自分が見逃したのかなってレベルで随分唐突だなと感じ。。

おじさんと姪っ子って設定はエロ系の匂わせ?二人に何かあった?

そのくらい行動に違和感があるし、治が癇癪起こすシーンも理解に苦しみます。

まぁ、どこにも行けない鬱屈した想いを表現したんだろうけど、突然癇癪起こすもんだからこっちは引きます。

というか日本映画ってなんで癇癪起こすシーンがこんなに多いのだろうか?

彼らの行動が極端なんです。気持ちはわかるもののついていけない。

余白を想像しろと言われたらそれまでだけど、完全に説明不足。




印象的なのが恵子が別の男性と関係を持っていたことに気づいていながら、治はずっと触れずにいて、息子の死についても自分の中で整理できないまま抱え込んできたこと。

治は亡くなった息子が本当にいたのかどうかすら分からなくなっていて、もはや感覚が麻痺していたわけだ。それでも恵子に「いた」と言われると、「お前がそう言うなら、いたんだな」と答える。

この場面では治の感情がとっくに壊れてしまったようにも見える。ただ同時にようやく止まっていたものが動き始めた瞬間でもあると思う。

優子は最終的に母親とともに長崎を離れ、治との共同生活は突然終わることになる。

愛を知らなかった優子は誰かを心配し寄り添おうとすることを知り、愛を失っていた治は忘れかけていた感情を取り戻しましたとさ

めでたしめでたし。

大筋はわかるんだけど盛り上がりがあまりなく、そのくせ説明不足なのでなぜそのような行動に移ったのかは観客の想像にゆだねるというお決まりのスタイルである。

だからもっと丁寧に描いていれば結構いい作品になったのになと残念に感じてしまいました。

オダギリジョーはどの作品観てもこんな感じの役柄だよね。彼は毎回ダメ親父や中年ばかりで結構観ていて既視感しかなかった。

本作は静けさの中に失ったものと向き合ってもう一度前へ進もうとする話なのは理解できるが、その表現の仕方はあまり自分には刺さらなかったです。戯曲をわざわざ映画化する意味がわからなかった。

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