2025年5月23日に公開された日本映画『父と僕の終わらない歌』。
アルツハイマー型認知症を抱えながら80歳で歌手デビューを果たし、SNSを通じて世界的な話題となったイギリス人男性とその息子の実話をもとに、舞台を神奈川県横須賀市へ移して映画化した作品。
『さまよう刃』以来16年ぶりの映画主演となる寺尾聰が父・間宮哲太、松坂桃李が息子・雄太を演じる。監督は『ちはやふる』シリーズなどの小泉徳宏。
本記事ではネタバレ全開で感想考察していきます。
基本情報
作品名:父と僕の終わらない歌
公開年:2025年
製作国:日本
上映時間:93分
監督:小泉徳宏
脚本:三嶋龍朗、小泉徳宏
原案:サイモン・マクダーモット
出演:寺尾聰、松坂桃李、佐藤栞里、副島淳、大島美幸、齋藤飛鳥、ディーン・フジオカ、三宅裕司、石倉三郎、佐藤浩市、松坂慶子
ジャンル:ヒューマンドラマ/音楽
あらすじ

間宮哲太は、かつてレコードデビューを夢見ていたものの、息子・雄太のためにその夢を諦め、横須賀で楽器店を営みながら暮らしてきた。今でも時折、地元のステージに立って歌声を披露している。
そんなある日、哲太がアルツハイマー型認知症と診断される。少しずつ記憶を失っていく父を目の当たりにした雄太は、父がかつて諦めた歌手としての夢を今からでも叶えてほしいと考える。
父の残された時間の中で夢を実現させるため、雄太は周囲の人々と力を合わせながら奔走していく。
同性パートナーという設定に最初は違和感。でも後半を見ると意味はあった
前半を観ていて、正直かなり引っかかったのが、松坂桃李演じる雄太に男性のパートナーがいるという設定。
最近の映像作品では、LGBTQ+や人種的な多様性を意識した人物設定が多すぎる。本作でも冒頭から異人種婚が描かれ、さらに雄太が両親へ紹介する恋人も男性。
もちろん同性を好きになること自体を否定するつもりはないし、そういう人たちが肩身の狭い思いをしてきた歴史もあるが、「今回、この設定まで必要なのか?」という食傷感が先に来てしまった。
せっかく、歌うことが大好きだった父親がアルツハイマー型認知症になり、その父を息子が支えていくという強い物語があるのにそこへ別のテーマまで入ることで、最初は意識がそちらへ持っていかれた。
最後まで観ると同性パートナーという設定も単なる多様性のためだけではなかったように思えてくる。
父親の病状が進行すると、雄太の生き方に対して否定的な言葉をぶつける場面が出てくる。
そこで初めて、この設定が父と息子の間にずっと存在していた「言えなかった感情」を表面へ引きずり出す装置にもなっていたことが分かる。
最初は「またこの設定か」と思ったは、後半まで観れば少なくとも父と息子の関係を揺さぶる意味はあったと思う。
優しい父と残酷な父。どちらが本心なのか分からないアルツハイマーの怖さ
前半は、陽気で歌のうまい父親がアルツハイマー型認知症になり、家族がそれに寄り添っていく温かなヒューマンドラマなのかと思っていたが、中盤から映画の空気が少し変わる。
病状が進行すると、哲太は日によってまるで別人のように見えるのだ。
雄太がゲイであることに厳しい言葉をぶつけ、「がっかりした」という感情を露わにすることもある。
ところが次に会えば、「外、寒かったろう」と、昔と変わらない優しい父親に戻っている。
この振れ幅が非常に結構怖い。
もちろん、認知症になった人が口にしたことを、そのまま「これこそ隠していた本心」と断定することはできないが、どちらもこの父親の一部なんじゃないかと思えてしまった。
親子だからといって、普段から何もかも本音で話しているわけではない。
子供に対して思うことがあっても、わざわざ口にしない。
「これはちょっと違うんじゃないか」「できればこうなってほしかった」
そんな感情を心の中にしまったまま、それでも普通に子供を愛している親はいくらでもいると思う。
親の愛って、全部を100%肯定することではない。
「この部分は心配だな」「ここは直した方がいい」「これは自分にはなかなか理解できない」
そう思うことと、その子供自体を愛していることは普通に両立する。
だから哲太が雄太に投げた否定的な言葉も、自分には「愛していなかった証拠」には見えなかった。
むしろ怖かったのは、普段はうまく折り合いをつけながら生きていた親子の感情が、病気によって制御できない形で表へ出てくることだ。
「あれが本心だったのか。それとも病気による言葉だったのか」
最後まで完全には分からない。
その曖昧さこそが、この映画で感じたアルツハイマーの怖さだった。
「お前は俺のスターだ」これは父を救う話ではなく、子供が親の愛を確認する物語だった
本作は「認知症になった父親を息子が支える話」だと思っていたが、実は雄太が父親からの愛をもう一度確認する物語だったんじゃないかと思う。
父親から否定的な言葉をぶつけられれば、子供はどうしても「自分そのものを否定された」と感じてしまう。
でも親の感情って、そんなに単純ではない。
ある部分では理解できない。ある部分では心配する。それでも、自分の子供であること自体はずっと大切。
最後に哲太から「お前は俺のスターだ」という言葉を聞き、雄太が涙ぐむ。
あの瞬間、彼はようやく確認できたんだと思う。
自分はちゃんと愛されていた。
父親の中に自分では受け止めづらい感情があったとしても、それが親から受けた愛のすべてではなかった。
だからこの映画は、ある意味では自己肯定感の話でもある。
「自分はこれでよかったのか」「父親は本当は自分をどう思っていたのか」
その答えを、父親の記憶が失われていく中で探していく。
途中でかなり毛色が変わる作品ではあったけれど、最終的には「父と息子が愛を確認する物語」としてきれいに着地した。
親は子供のすべてを肯定しているわけではない。
子供だって親のすべてを理解できるわけではない。
それでも、根っこのところではちゃんと愛している。
本作はその当たり前だけれど言葉にしないと伝わらない親子の感情を、最後にもう一度確かめさせてくれる温かい映画だった。




