【映画】ナミビアの砂漠(2024)|何が言いたい?河合優実の「空虚と暴力」【ネタバレ考察】

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ナミビアの砂漠(2024)」血のにじむ鼻を押さえ、ぼんやりと前を見つめる女性の水彩画風イラスト(室内・逆光) 人間ドラマ


2024年に公開された映画『ナミビアの砂漠』。

人によっては観るのはなかなかしんどいです。なぜならストーリー性はほぼあってないようなものだから。

本記事ではネタバレ全開で感想考察レビューしていきます。

基本情報




  • 作品名:ナミビアの砂漠
  • 公開年:2024年
  • 監督:山中瑶子
  • 脚本:山中瑶子
  • 音楽:渡邊琢磨
  • ジャンル:ドラマ
  • 上映時間:137分
  • 製作国:日本
  • 主なキャスト:河合優実/金子大地/寛一郎/新谷ゆづみ/中島歩/唐田えりか/渡辺真起子 ほか

あらすじ




ナミビアの砂漠(2024)」血のにじむ鼻を押さえ、ぼんやりと前を見つめる女性の水彩画風イラスト(室内・逆光)

21歳のカナは、将来を強く思い描けないまま、日々を「ちゃんと」やっているようで、どこか何も掴めない。恋人ホンダと同棲し、穏やかに生活が回っているはずなのに、心の温度だけが噛み合わない。

そんな中、カナはホンダとは対照的な空気をまとったハヤシと距離を縮めていく。刺激というより、呼吸の仕方が違う相手。関係が進むほど、ホンダの存在は「優しさ」ではなく「重さ」になっていき、カナの毎日は静かに崩れ始める。

絶叫の前の静けさ

一番冒頭のズームで主人公のカナにカメラが寄ってくシーンはなんだか昭和の映像作品を彷彿とさせるなぁ。なんだか野暮ったくも、逆に今の時代には新鮮に映る。

調べると女性の監督みたいだ。

あぁ、だからか。

カップルで放尿し合うシーンはなかなか攻めてますね。

あまり「男だから、女だから」というのは好きではないが、多分男性の監督ならもっと話を組み立てるんだろうな。




本作、特に派手な事件や出来事が起きるわけはなく、ひたすらカナが壊れていく様を見せつけられるだけの映画。

そしてこの壊れていく理由が明確化されることなく終わっていく。

「メンヘラ女の感情なんてわからねぇよ」

これで考えることなく終わらせてしまえば物凄くつまらない作品になるだろう。いい意味でも、悪い意味でもだらだらしている作品だ。

カナは将来のことを考える余裕もなく、何事にも情熱が湧かない。仕事も生活も恋愛も、全部が「やってるフリ」のまま時間だけが進んでいく。とにかくいつもつまらなそう。

何か一つくらい自分が興味持てるものがあるもんだけど、いるんだね、こういう人。

だから成長だとか希望に向かう兆しが最初から存在しない。目が死んでるんだもん。

タイトルの『ナミビアの砂漠』とは、「ナミブ砂漠」は現地民族の言葉で「何もない(広大な)場所」を意味する。何に対しても熱情を持てず、恋愛も暇つぶし、生きる目的がない主人公カナの「空虚な内面」を、砂漠に例えている。

しかも残酷なのが、彼女のつまらなさって、本人の怠惰や性格の一言で片づけられる軽さじゃないところ。

なんでもやってくれる彼氏のホンダが風俗に行ったことをきっかけにセフレのハヤシに乗り換えるところで映画の途中でタイトルが表示される。ここで前半終わり。

これは園子温監督の『愛のむきだし』を彷彿とさせられる演出だ。

で、ここからの後半戦がどうも観ていてしんどい。

大きい声出さないで

グランメゾン東京』も存在感のあった寛一郎演じるホンダは常にカナの方に矢印が向いている。

料理も作ってくれるし常にカナを心配してくれる。なんだか母親のようだ。ていうかロン毛にスーツって職業だよ。




「風俗行って傷つけて本当にごめん」と心から謝罪するホンダ。

うーん、だけどそこじゃない。それ以前の問題でカナはもそもそホンダに気持ちが行ってない。

そして乗り換えたハヤシだけどホンダとは対照的にカナよりも仕事に矢印が向いている。

カナはもっと構ってほしい。「一緒に高め合っていこう」とか言ってたくせに自分の方に向いてるようで向いてないのがイライラする。

印象に残るセリフがある。「大きい声出さないで」。

「テメェもな!」と思わずツッコミたくなるシーンだが、自分が「こうして欲しい」という望みと現実とのギャップが埋まらずに苦しんでいる感情を表しているセリフだ。

額面通りに受け取ればわけがわからないだろう。だからこの映画って映像のまま受け取るとだいぶカナは変人で理解できない人物で終わってしまう可能性がある。

なかなか攻めた作品撮るなぁと思ってしまった。

静かな精神の病

何度もカナと喧嘩で取っ組み合いになり、「もう本当無理」と突き放すのになぜハヤシは出ていかないのか?

それは一面的ではなく、カナの行き場のない感情の爆発であり、「カナはハヤシを攻めているようでいて、カナ自身を攻めている」のをなんとなく気づいてるからじゃないかな。

「病気」とまでは認識してないかもしれないが、「自分がほっておいたらいけない」と本能的に感じていたのかもしれない。

それが見方によってはメンヘラ女から離れられない男として見られるかもしれないが。




「映画なんかみてなんになるんだよ」。

カナは娯楽に全く興味がない。それは空虚な生活からも感じられる。

みんなが楽しいと思えることに楽しいと思えない描写がまさにBBQのシーン。

色んな人がいるのにカナは一人で会話に交わらずにぼーっとしてる。

前半からこういう布石がしっかりあったのね。

だからこの「映画なんかみてなんになるんだよ」のセリフが妙にしっくりくるんだ。

周りの人が「楽しい」と言っている場所にいても、そこだけ自分の心が反応しない。本人の立場になるとこれはなかなかつらいぞ?

「身体は健康だけど自分は砂漠のようにカラカラなのは病気なの?」

この映画は一人の女性の「観測」。

そしてこの映画はカナとハヤシがいつの通り会話しているシーンで突然終わる。

おいおい、これじゃ全く解決にもなってないラストじゃないか。

だけど、これは解決とかじゃないのかな。

そしてカナはこれからこの先もずっとこの病気と共に生きていくのでしょう。そう思うとなんてだいぶ残酷な話じゃないか。




カナがなぜこのようになってしまったのか、はっきりと示してないし、また、解決もしない。

淡々とカナが壊れいくシーンの積み重ね。

でも理屈じゃないのかもしれない。「こうあるべき」とか「こうじゃなきゃいけない」とか、そういうものを超越してるというか、自分の理屈と感情がマッチしないことに苦しんでるんだね。

滝のように流れる感情をぶつけると思えば、ランニングマシンで自分たちが喧嘩しているシーンを客観的に観ているシーンからも冷静な自分もいる。

静と動を含んだカナ演じる河合優実の演技はやっぱり上手いんだろうな。

さまよう刃』でレイプされて殺されるシーンは娘を持つ親としてはリアルに殺意が沸いたし、『不適切にもほどがある』でも抜群の存在感だった。

あとは「腹減った」からのハヤシとの喧嘩はめちゃリアルでした。

「面白い」とか「面白くない」とかそういう観点だけでは測れない、もはや「観測」に似た映画でした。

物語欲は満たしてくれないが、貴重なある一人の女性の苦悩を見ることができた。

だから僕は映画が好きなんだ。2時間で体験できるから。

受賞歴

  • 第77回カンヌ国際映画祭 監督週間:国際映画批評家連盟賞
  • 第16回TAMA映画賞:最優秀新進監督賞(山中瑶子)/最優秀女優賞(河合優実)
  • 第12回バルセロナ・アジア映画祭:スペシャル・メンション
  • 第16回バンコク世界映画祭:コンペティション部門 最優秀作品賞(ロータスアワード)
  • 第67回ブルーリボン賞:主演女優賞(河合優実)
  • 第98回キネマ旬報ベスト・テン:主演女優賞(河合優実)
  • 芸術選奨新人賞:映画部門(河合優実)/大衆芸能部門(渡邊琢磨)

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