【映画】マルホランド・ドライブ|ネタバレあらすじ考察│夢構造をわかりやすく徹底解説【考察】

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マルホランド・ドライブ|ベティとリタが電話を囲み緊張した表情を浮かべるシーン(水彩画タッチ) アメリカ映画


2001年に公開された映画『マルホランド・ドライブ』。

2025年1月に監督のデヴィッド・リンチが亡くなってしまいましたね。いつだったか「自分はもう才能が枯渇したから作品は作らない」とか言って引退宣言してたのが懐かしい。

大学時代に彼の作品にめちゃくちゃハマって片っ端から鑑賞してました。

特にお気に入りは『ツイン・ピークス』、『ロスト・ハイウェイ』とこの『マルホランド・ドライブ』。

わかりそうで最後には全部が反転してやっぱりわからなくさせられる彼の作品はかなり人を選ぶと思うがハマる人はドハマりするだろう。

現に本作に主演しているナオミ・ワッツやローラ・ダーンなんかも彼の大ファンです。

さて、本記事でもネタバレ全開で感想考察レビューしていくとします。




基本情報

作品名:マルホランド・ドライブ

原題:Mulholland Drive

公開年:2001年

監督:デヴィッド・リンチ

脚本:デヴィッド・リンチ

音楽:アンジェロ・バダラメンティ

上映時間:145分

製作国:アメリカ/フランス

ジャンル:サイコロジカルスリラー/ミステリー

主なキャスト:ナオミ・ワッツ、ローラ・ハリング、ジャスティン・セロー




あらすじ

マルホランド・ドライブ|ベティとリタが電話を囲み緊張した表情を浮かべるシーン(水彩画タッチ)

夜のマルホランド・ドライブで起きた自動車事故。奇跡的に生き延びた黒髪の女は記憶を失い、ハリウッドのアパートへと逃げ込む。そこで出会ったのは、女優を夢見るベティ。彼女は「リタ」と名乗る女とともに失われた記憶を追い始める。

しかし物語はやがて反転する。ベティという存在、成功の幻想、愛と嫉妬、そして「青い箱」と「青い鍵」。現実と夢が交差し、観客は一つの真実へと導かれる――それは、挫折と愛の破滅が生んだもう一つの物語だった。




作品の構造

まず最初におさえておかないといけないネタバレをしていくと(もうさんざん他の記事とかでされてるからいいでしょ?)、本作は前半パート後半パートで分かれており、夢を追った女優が成功する「願望」のサクセスストーリーが前半、夢に破れて闇落ちしていた「現実」が後半という仕組みです。

そもそも前半と後半とではキャラクターの名前が異なるので余計ややこしく感じるのです。

ナオミ・ワッツ演じるキャラクターは前半ではベディ(夢見る女優志望)であり、後半はダイアン(挫折)。

ローラ・ハリング演じるキャラクターは前半ではリタ(記憶喪失)、後半はカミーラ・ローズ(大女優)。

全員がそうかと言われると前半後半そのままの名前だったりするキャラクターもいるのでこの辺もひねくれてるよ、リンチさん。

ここを前提にして話を追っていくとわかりやすいと思います。




前半(とある女優志望の幻想)

物語は夜のマルホランド・ドライブで起きる自動車事故から始まる。リムジンに乗せられていた黒髪の女性は何者かに銃を向けられるが、その直前に暴走車が衝突し、彼女は命を取り留める。

しかし事故の衝撃で記憶を失ってしまい、夜の街をさまよい、偶然空き家になっていたアパートに身を隠す。

そこへ現れたのが、女優を夢見てカナダからやって来た若い女性ベティである。

ベティは明るく純粋で、自信に満ち、ハリウッドで成功する未来を信じて疑わない。

彼女はアパートに潜んでいた記憶喪失の女性を見つける。黒髪の女性は部屋に貼られたリタ・ヘイワースのポスターを見て、とっさに「リタ」と名乗る。ベティは彼女を助けることにし、二人でリタの正体を探り始める。

リタのバッグの中には大量の現金と青い鍵が入っていた。その鍵は何か重大な出来事の象徴のように見えるが、二人には意味が分からない。

ベティはオーディションに向かい、圧倒的な演技力を見せて周囲を驚かせる。彼女はまるでスターになることを約束された存在のように輝いている。

一方で、映画監督アダム・ケシャーの物語が並行して進む。アダムは新作映画の主演女優を巡って謎めいた権力者たちから圧力を受ける。「カミーラ・ローズを主演にしろ」と命じられ、拒否すると資金を凍結され、私生活も崩壊していく。彼は抵抗するが、次第に追い詰められていく。

ベティとリタは手がかりを追い、あるアパートで女性の腐乱死体を発見する。その死体はどこか自分に似ているようにも見え、リタは激しく動揺する。

二人の絆は深まり、やがて愛情へと変わる。しかし真相は依然として霧の中にある。やがて二人は奇妙な劇場「クラブ・シレンシオ」を訪れる。

そこでは司会者が「これは幻想だ。録音だ。現実ではない」と繰り返す。

歌手が感情豊かに歌い上げた直後に倒れるが、歌声は止まらない。すべては幻影だという宣言のように、世界の基盤が揺らぐ。

その後、リタの持っていた青い鍵に対応する青い箱が現れる。ベティが箱を開けた瞬間、世界は崩壊する。ベティは消え、リタも姿を消す。物語は唐突に断絶する。




後半(とある夢に破れた元女優志望の現実)

次に目覚めるのはダイアンという女性である(彼女は前半パートのベティ)。だが顔は疲れ切り、荒んだ表情をしている。豪華な理想のアパートではなく、薄暗い部屋で現実に打ちひしがれている。

観客は徐々に理解する。前半はダイアンが見ていた夢、あるいは願望の世界だったのだと。ベティはダイアンの理想化された姿であり、リタは現実ではカミーラという女性だった。

ダイアンは女優を目指してハリウッドに来たが成功できなかった。

一方、恋人だったカミーラは映画で成功し、監督アダムと親密な関係になる。ダイアンは嫉妬と劣等感に苛まれ、カミーラに捨てられる。

屈辱的なパーティーでカミーラがアダムと婚約を発表したことが決定打となり、ダイアンは絶望する。

彼女はレストランで殺し屋にカミーラの殺害を依頼する。その証拠として渡されたのが青い鍵だった。

夢の中でリタが持っていた青い鍵は、現実では殺人の完了を示す合図だったのである。

しかし殺害が実行された後、ダイアンは罪悪感と恐怖に苛まれ、老夫婦の幻影が彼女を追い詰める。

次第に現実と幻覚の区別がつかなくなり、ついに彼女は拳銃で自ら命を絶つ。物語は静寂の中に沈み、「シレンシオ」という言葉で閉じられる。




夢は現実の屈辱を逆転させる装置

ざっとまとめるとこんな感じです。

ダイアンは夢の世界では自分が才能あふれるベティとなり、カミーラは記憶喪失のリタとなって自分に依存する存在へと変換されています。

監督アダムは権力に振り回される滑稽な男に置き換えられる。夢は現実の屈辱を逆転させる装置だったわけです。

目線は全てダイアン目線ということになります。

しかし映画監督アダムに対してもかなり思うことがあったんだね、ダイアン。妄想部分でアダムも可哀想なことになってたし。

ハリウッドって確かに輝かしく見えるんだけど、その裏側では闇が必ず存在します。これはどの業界でも言えること。飲食業界だってそうです。

成功してる人間がいれば、必ず、それ以上に挫折している人間はいる。でもそれが現実なのです。だからこそ努力や運で勝ち取った者は成功者として称賛されるのです。

もちろんダイアンの気持ちを踏みにじったカミーラが元凶とも言えなくもないが、夢に破れる話はまぁまぁよくある話じゃないかな。

殺し屋を雇って殺させるとかはやっぱりフィクション感は強めだけど、ダイアンの精神の錯乱の表現方法としては非常に斬新であり、今でも唸らされる。




脳を使う映画

この作品は直線的なストーリーではなく、夢と現実、願望と後悔、成功と挫折が反転構造で描かれているので余計観客が混乱するわけです。

前半は理想の世界、後半は残酷な現実。ハリウッドという夢工場の裏側で、成功できなかった者の心の崩壊が描かれる。青い箱は真実への扉であり、開いた瞬間に幻想は消える。

『マルホランド・ドライブ』は、夢を追った末に壊れていく一人の女性の心理劇であると同時に、ハリウッドという場所そのものが作り出す幻想の構造を暴き出す作品でもある。

何が現実で何が夢なのかは明確に説明されない。観客自身が断片を組み合わせ、意味を再構築するしかない。いわゆるだいぶ脳みそを使う映画なのです。

リンチはそれを確信犯で行っているが、「意味わかんねーよ」的なクレームも多少なりともあったので彼は本作を読み解く10のヒントを出している。

別にそんなことしなくて「作品が語っている」っていつだか言ってたよね。商業的な問題もあって少しはそういった人たちに迎合しないといけない場合もあるのね。

まぁ、だからこそこの映画は語り継がれ、観る者の数だけ解釈が生まれるし何度も観たくなるわけです。

気づいたらリンチの作品にどっぷり浸かっている自分がいる。

言っとくけど『ロスト・ハイウェイ』はさらにわからないからね?




評価・受賞歴

・第54回カンヌ国際映画祭 監督賞(デヴィッド・リンチ)

・セザール賞 最優秀外国映画賞

・ニューヨーク映画批評家協会賞 作品賞

・ロサンゼルス映画批評家協会賞 監督賞

公開当初は賛否を呼びながらも、現在では「21世紀を代表する映画」の一本として評価されるカルト的名作。夢と現実を分断せず、観客自身に解釈を委ねる構造こそが本作最大の魅力である。

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