1983年公開の映画『家族ゲーム』。
80年代作品で一本あげろと言われたら私は本作品をあげる。
これを観たのは大学生の頃だろうか。シュールな笑い、音楽なし、カオスなラスト、もはや従来の映画の常識をぶち壊す海外にも誇れるとんでもない作品だった。
本記事ではネタバレ全開で感想考察レビューしていきます。
基本情報
作品名:家族ゲーム
公開年:1983年
監督:森田芳光
脚本:森田芳光
原作:本間洋平
音楽:なし(劇伴を排した演出が特徴)
ジャンル:コメディ/ドラマ
上映時間:106分
製作国:日本
主なキャスト:松田優作、宮川一朗太、伊丹十三、由紀さおり
あらすじ

高校受験を控えた中学3年生・沼田茂之は、成績が振るわず、家庭教師が長続きしない“問題児”。そんな彼のもとに現れたのは、三流大学7年生を名乗る奇妙な男・吉本勝。
乱暴で挑発的、しかしどこか核心を突く指導で、茂之の成績は次第に上昇していく。やがて兄や両親を巻き込み、沼田家の歪んだバランスは崩壊寸前に。
象徴的なのは、家族が横一列に並んで食事をする異様な食卓。笑いと不安が同居する中、家族という“制度”の薄皮が一枚ずつ剥がれていく――。
横並びの食卓は「家族」の否定である
本作は高校受験のために雇われた家庭教師・松田優作演じる吉田勝と沼田家による物語。だが、物語はただの受験物語ではなく、沼田家(当時の日本の家族)の本質をえぐっていく作品だ。
本作を語るうえで、最も象徴的なのがレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のよう横一列に並ぶ食卓の構図だ。
家族の食卓は一般的に向かい合う配置になるはずでそこには対話がある。しかし本作では、家族は横並びで、しかも正面を向いて座っている。これは「向き合わない家族」の視覚化だ。
森田芳光監督は家族を心理劇として描くのではなく、空間演出で解体していく。
これがめちゃめちゃ画期的。だから彼らのセリフは棒読みでボソボソ喋ってたりする。特に親父ね。
横並びという配置は、個々が孤立しながらも同じフレームに収まる存在であることを示す。
つまり、血縁という枠組みの中で無理やり同席しているだけの関係に過ぎない。
まるでこの家族はまさにゲームのように機械的なのである。
歴史に残るクライマックス
『ドラゴン桜』みたいな驚くような学習方法はなく、淡々と勉強をこないしていくわけでそこに受験物語ならではの面白さがあるわけではない。
あるのは謎にシュールなシーンの連続だ。
そしてクライマックス。なんとか受験に合格したその夜の晩餐で食卓は祝福の場ではなく、「崩壊の舞台」となる。
最初は普通に食事しているけど、徐々に礼儀もクソもなく食事が雑になっていく吉本。横で遊びだす兄弟。無関心な母親、息子が受験には合格したその日にこれからを偉そうに語る親父。
しだいに吉本が暴れ、家族が混乱するあのシーンは、抑圧されていた違和感の爆発だ。ここで初めて、家族の「本音」が露出する。
今見返しても笑いと混乱が入り乱れた映画史に残るシーンではないだろうか。
音楽の不在が生む異常性
本作には劇伴音楽がない。これは極めて異様だ。
音楽って偉大で「笑うべきか」、「怖がるべきか」、感情を誘導する指針の役割を果たしているが、本作にはそれがない。そのため、観客は「どのように感じればいいか」を与えられない。
ただあるのは食事の咀嚼音や沈黙が強調され、生活音が妙に生々しい。
この静寂は家族の空虚さを増幅させる。
森田は「家族」という制度をエンタメ的に描くのではなく、冷酷な実験装置のように扱う。
音楽を排除することで、彼らがどう感じてるのかを表情やセリフから察する作業が生まれるわけだ。
思えば本作は音楽に関わらず説明らしきものが一切ない。
なんとも超実験的で挑戦的である。
吉本は救世主か破壊者か
松田優作演じる吉本勝は、教育者でありながら暴力的で破綻している。彼はこの家族のシステム外の存在だ。
だが彼の介入によって、この家族は激しく揺さぶられることになる。
いわゆる「ジョーカー的」な存在だ。
ここで重要なのは、吉本が「正しい教育」を提示していない点だ。彼は単に、家族という閉鎖空間を攪乱する異物にすぎない。
つまり本作は、教育ドラマではなく、むしろ「家族という制度は、外部からの暴力なしには揺らがない」という残酷なテーマが読み取れる。
吉本はまさに「家族」と言う偽りのシステムを破壊することで本質をえぐる役割なのだ。
ラストのヘリコプター音
エンディングのシーンはヘリコプターの音が響く。明確な説明はない。この音は何を意味するのか。
一つの解釈として、社会の不穏さの象徴がある。
1980年代初頭、日本は高度経済成長の余韻と受験戦争の加速の中にあった。「家族は安定の象徴」とされていたが、その内部は本作の沼田家のように空洞化していた。
ヘリコプターの音は、外部世界の暴力的な気配だが、しかし家族はそれに反応しない。
のんきに眠り続ける。ここに森田監督の皮肉がある。
「世界が崩れても、この家族は変わらない」
たとえ自分の国で戦争が起きても無関心で平和ボケしてる。
それは絶望か、それとも滑稽か。森田監督、こえぇ。
なぜ今も語られるのか
本作は単なる時代劇ではない。受験、教育、家族の形式化というテーマは、現代にもそのまま通じる。
SNS時代の家族もまた、同じ空間にいながら視線を交わさない。横並びの食卓は、スマホに没頭する現代の姿にも重なるのではないだろうか。
「家族ゲーム」は構造そのものを暴くからこそ色褪せない。
森田芳光は、家族の崩壊を描いたのではない。最初から存在しなかった「理想の家族」という幻想を暴いたのだ。
そして私たちは今も、その横並びの食卓から抜け出せていないのかもしれない。
こう考えると80年代にこの映画が生まれたことがなんとも先見の明があったのか、森田監督の力量に感服せざるをない。
評価・受賞歴
- 第7回日本アカデミー賞
- 優秀作品賞
- 優秀監督賞(森田芳光)
- 優秀主演男優賞(松田優作) ほか
- 第57回キネマ旬報ベスト・テン
- 日本映画部門 第1位
- 第26回ブルーリボン賞
- 監督賞(森田芳光)
- 第5回ヨコハマ映画祭
- 作品賞
- 監督賞
- 主演男優賞
公開当時から高い評価を受け、現在でも1980年代日本映画を代表する一本として語り継がれている。





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