2024年公開の映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』。
何気なく見始めたがどんどん引き込まれていってしまいました。吉沢亮の演技力が特に素晴らしい。
本記事ではネタバレ全開で感想考察レビューしていきます。
基本情報
作品名:ぼくが生きてる、ふたつの世界
公開年:2024年
監督:呉美保
脚本:港岳彦
原作:五十嵐大(自伝的エッセイ)
音楽:未公表(劇伴中心)
ジャンル:ヒューマンドラマ
上映時間:105分
製作国:日本
主なキャスト:吉沢亮、忍足亜希子、今井彰人
あらすじ

宮城県の小さな町。耳の聞こえない両親のもとで育った五十嵐大は、幼い頃から母の「通訳」として生きてきた。家庭の中では当たり前だった役割も、成長するにつれて重荷へと変わっていく。
周囲から特別視されることへの違和感。
母の明るさへの反発。
そして「普通」に憧れる自分への戸惑い。
20歳になった大は東京へ出る。誰も自分の背景を知らない場所で、新しい人生を始めようとする。しかし、距離を置こうとすればするほど、家族との記憶と愛情が静かに追いかけてくる。
これは、ろうの世界と聴こえる世界、その狭間で揺れ続けた青年が、自分の立ち位置を見つめ直す物語だ。
少年、青年
デンデンが出てきた瞬間、頭に浮かぶのはどうしても『冷たい熱帯魚』。
あの狂気の残像が強すぎて、元ヤクザ役の佇まいに妙な緊張感が走る。役者としてはいいのか悪いのかわからないが、あの映画のデンデンは強烈過ぎてどの作品も笑いながら実は殺人者なのではないか?というイメージが走ってしまう。
すいません、話を本作に戻します。
「ろう」とは、耳が聞こえない状態を指す言葉で、聴覚障害者の一種。
耳の聞こえない両親のもとに生まれた大は「聞こえる側」の人間。
いつしか両親の通訳係になってしまっていることに苛立ちを覚え、東京へ出ていく。親と距離を取ることで親の想いや愛情に気づかされる。簡単に言ってしまえばそんな話です。
赤ん坊の頃、泣いても両親には聞こえない。
クラクションが聞こえなくて事故にあったキャラクターもいたりと、ろう者は本当に生きるのが大変そうだ。
授業参観に「来てほしくない」と言い放つ大。自分の親が他の親と違うことに劣等感を抱くようになる。
「なんであんた主体なんだよ。なんでこっちが譲歩しなきゃなんないんだよ。」
「こんな家に生まれてこなきゃよかった。全部お母さんのせいだよ。障害者の家に生まれて、バカみたいだよ。」
親からしたら地獄みたいなセリフ。これはさすがにこたえる・・・
でも大本人はその残酷な言葉を吐いたことに自覚がない。この頃ってキャパはが狭いので相手の立場に立って物事を考える余裕がなく、つい思ってもないことを口走ってしまうものさ。結局成長してあとから後悔するんだけどね。
社会人
彼はずっと両親の橋渡し役だった。だから自分を知らない東京へ出ていって自分を試そうとする。
しかし東京に出ても、彼は何者にもなれていない。
パチンコ屋で働き、自宅で唐揚げ弁当を食べ、ただ時間を消費してるだけ。
しかし毎回思うけど、面接で問いに対する答えが甘い。
大よ、シンプルに準備不足じゃない?お前なめてんだろ?
と思ったけど、
もし両親が健聴者だったら、環境は変わったのかな?なんて想像してみる。
親は選べないし、育った環境って本当にその後の人生に影響を与える。だって、健常者の両親だったら色々と悩む必要がなかったから。
もしかしたら「面接のときはちゃんと準備していけよ」とかそういったアドバスだってもらえたのかもしれない。親に頼ることができなかったのはやっぱり可哀想かな。
ようやく面接で本音をぶつけることで就職することができた大。そこそこ充実した日々を送ることになる。
ろう者の会
パチンコで知り合ったろう者が主催する会があってそこで大はコミュニティを築くことになる。
何気にこのパートが好きだ。いままで両親や職場という狭い世界だけで生きてきた大が他者と関わり世界が少しだけ広がるシーンだ。
しかし手話にも方言ってあるんだ。「東京ではこうだよ」とかいうシーンもあって、興味深かったですね。覚えるの余計大変だ・・・
久々にろう者たちと再会するご飯の席に大が遅れていくシーンがある。そこで唯一耳が聞こえる大が色々と彼らの注文を店員さんに通訳するんだけど、そのうちの一人からこっそり「奪わないで」と軽く注意される。
「伝わらなかったら紙にでも書いたり、自分たちで伝えられるから。」
一方的にやってあげることが大にとっては親切だと思っていたが、それは間違いで、はじめて彼らの立場に立って物事を見ることに気づく象徴的なシーンでした。
東京に出てきて良かったね。やっぱり東京には色々な人がいて、もちろんいいことも悪いこともあるだろうけど、「色々な人に出会える」ことができるのが東京の強みかと思います。
そこで何を学ぶのかはその人次第。そういう意味でも成長させてくれる可能性のあるのが東京なのではないだろうか。
ラストシーン
母親と手話で談笑し、ランチのパスタを食べる凄く微笑ましい日常のシーン。
駅で母親が最後に大に言う。
「人がいっぱいいるのに、手話で話してくれてありがとう。」
その言葉を聞いて感情がこみ上げ泣き出す大。
母はずっと息子と話したかっただけなんだ。いままで「通訳」としてしか接してこなかった大がはじめて「息子」として母と向き合ったひと時。母はそれを望んでいた。
先ほどの「奪わないで」と言われたシーンともリンクするが、ろう者であっても健常者と同じに接してほしいというのが彼らの望みなのかもしれない。
「よかれ」が必ずしも相手にとっては良い結果をもたらすものではないということなんだな。
吉沢亮の演技力
吉沢亮はすごかったですね。僕は手話ができないのでなんとも彼の手話に関してはわからないけど、しっかり習得していたように思えます。
役も中学生時代から演じ分け、成長の時間を身体で表現する。
ろう者の俳優を起用していることも含め、この作品は表現の誠実さが際立っている。
派手な映画ではないが、子を持つ親が観るとまたどちらの目線でもみることができるので刺さるのではないだろうか。
役者の面接のシーンも然り、あなたは単なる「通訳」ではなく、「あなたの言葉」で話しているか?
久々にいい映画を観た。
評価
・映画.com:★4.2前後の高評価
・観客レビュー中心に好意的な評価が目立つ
・ろう者俳優の起用や表現の誠実さが高く評価
大きな商業的ヒットというよりは、「静かに刺さる作品」として語られているタイプ。派手な演出ではなく、感情の機微を丁寧にすくい取る作風が支持を集めている。







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