「バベル」。公開当時から「観た人の精神を削ってくる映画」として話題になった作品。
映画を観終わったあと、幸福感?爽快感?そんなものは一切ない。ただひたすら胸がズンと重くなる。
アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督は「アモーレス・ペロス」「21グラム」「バードマン」など、人間の痛点を刺激する群像劇が得意な監督だが、その中でも本作はとくに刺さる。
なぜなら、描いているのは「人が人を理解できない世界」だから。
核となるのは、モロッコの山で放たれたたった1発の銃弾。
しかしその銃弾は、大国・日本・メキシコ・モロッコ…地球の裏側の人達の人生まで壊していく。
「世界ってこんなにも脆いのか」と思い知らされる2時間23分である。
本稿はネタバレ全開で考察・感想を述べていく。
- 作品名:「バベル」(原題:Babel)
- 公開: 2006年
- 製作国: アメリカ/メキシコ
- 監督: アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
- 脚本: ギレルモ・アリアガ
- 音楽: グスターボ・サンタオラヤ(アカデミー賞受賞)
- 上映時間: 約143分
- ジャンル: ヒューマンドラマ/群像劇/サスペンス
- 製作: パラマウント・ピクチャーズ 他
- 特徴: 世界4つの地域を跨ぐ多言語・多文化の群像劇
⭐ 主なキャスト(役柄も正確)
■ モロッコ編
- ブラッド・ピット:リチャード(アメリカ人観光客)
- ケイト・ブランシェット:スーザン(リチャードの妻)
■ 日本編
- 菊地凛子:千恵子(聴覚障害の女子高生)
- 役所広司:千恵子の父
■ メキシコ編
- アドリアナ・バラッザ:アメリア(家政婦)
- ガエル・ガルシア・ベルナル:サンティアゴ(アメリアの甥)
■ モロッコの少年
- ブブ:ユスフ
- サイード:アフメド
あらすじ

モロッコでアメリカ人観光客のスーザン(ケイト・ブランシェット)が、遊び半分で撃った少年の銃弾に当たり瀕死状態に。
このたった1発の誤射が、アメリカ人夫婦、日本の女子高生、メキシコ人家政婦、モロッコの家族…
世界中の「まったく関係のない人々」の人生を巻き込んでいく。
- モロッコでは「テロの可能性」と誤解され国際問題に発展
- 日本編では、聴覚障害の少女・千恵子が父の疑惑と心の孤独に苦しむ
- メキシコ編では、アメリカで働く家政婦アメリアが雇い主の子どもを国境に連れて行くが、悲劇的な結末へ…
言語、文化、国境を超えたコミュニケーションの断絶と、それでも誰かを理解したい “人間の弱さと優しさ” が描かれる
特に「息をのむラスト」はない
この映画は10年以上前に劇場で観て以来。
当時「言いたいことはわかるけど、なんだかなぁ…」と言った釈然としない印象であった。
今回十数年ぶりに改めて観直してみたんだけど残念ながらその感想は当時と変わらない。
タイトルは「バベルの塔」の話から来てるんだろう。
天まで塔を作ろうとして神様が怒って言葉をバラバラにしたっていうあの話。
だからテーマは「コミュニケーション」。
モロッコ、メキシコ、東京と全く接点のないような場所が一発の銃弾によって繋がるという、やりようによっちゃかなり面白いものになりそうな話なんだけど、残念なことに各ストーリー同士の繋がりが非常に弱いため勿体無い作品となってしまっている。
役所広司とブラピがガッツリ絡むのかな?とか思ったら結局最後までそれぞれ独立した話が進んで終わっていくのが肩透かしを食らった。
この各エピソードを繋ぐのは「銃弾」。
そもそも役所広司がモロッコに行った時にガイドにお礼として銃をあげたことが全てのきっかけになってるんだけど、普通銃なんてあげるかな?(まぁ、それを言い出したら元もこうもないんだけど)。
その銃は結局売られてたまたまモロッコ旅行に来てたブラピの妻ケイトブランシェットに銃弾が当たることになる。
繋がりとしてはそれくらい。
まぁ映画としてはそれはそれでいいんだけどここにもう一個のエピソードである「メキシコ編」が加わることによってこの映画は一気にまとまりがなくなっていく。
メキシコ編いる?
ブラピ夫妻の子供を預かっている乳母がメキシコにいる息子の結婚式に出るために子供2人を連れてメキシコへ。
その帰りに車を運転していた甥っ子のガエルガルシア・ベルナムが飲酒運転で捕まりそうなって車で暴走。
乳母と子供2人は砂漠に置いてきぼりをくらい生死を彷徨うことに…
この話、果たしているのかな?
無駄に尺が長くなっててイマイチこの映画から読み取れるテーマ性みたいなものがモヤモヤっとしてしまっているように思う。
人種差別なんかもコミュニケーションの一種として受け取れなくはないけど…
ブラピの妻は撃たれるし、子供2人はそんな目に遭うし、ブラピ夫妻ついてなさすぎるだろ…
このバラバラの話を監督がまとめるようなことはしないせいで観終わったあとは釈然としない気持ちになる。
ある程度のテーマ性はあるけど観るものに委ねさせるというある意味「絵画的」だなと思った。
いい様に言えばね。
けれど観客にそこまで求めるのは少し酷かな。
いくつもの話が独立して進んでいって共通項をそこから読み取ってねみたいな荒っぽさがどうも全体をフワフワさせている。
だったらうまく繋げてくれよ。
日本のパートは全てが不自然
日本のパートに関して「日本をバカにしてる」とか色々と指摘している人が多いけど個人的に言えばそうは思わなかったかな。
だって「おかしい」って言ったら全てがおかしいんだもん。
女子高生にしては菊地凛子は老け過ぎだし、ノーパンで男を誘ったり、白昼堂々と公衆の面前でウイスキーにヤクキメたり、治療中に歯医者にキスしたりもう全てがおかしい。
完全におかしな女です。
その原因は母親が銃で自殺したせいだって言われてもね。
その自殺の原因も結局わからずじまいだしなんか全てが中途半端で説明不足。
他の国の人がその国を撮るとこうなるか…みたいなギャップがあって、それはもう仕方ないしそれを受け入れられるかで映画の評価につながってくると思うんだけどね…
特にラストもこれと言って感動はない。
淡々と進んでいくし、キャッチコピーの「息をのむラスト」もなかった。
菊地凛子が素っ裸で親父の役所広司と抱き合うシーンも???と言った感じで監督が自分に酔ってるのかなと思ってしまった。
まぁ映画なんて自分を表現するアートなんで私がこの監督と合わなかっただけの話。
それぞれエピソードは時間軸をズラしたりしてて「これどうなるんだろう?」みたいな変に推進力はあるからずっと観れてしまう。
2時間以上もの長い映像を最後まで飽きずに観れるんだけど、観終わった後特に何の感慨も残らないという不思議な映画でした…
面白いアイデアではあると思うのでもしも全く同じテーマで他の監督が作ったらどうなるかは気になるかな。
受賞歴
・アカデミー賞:作曲賞受賞/作品賞・監督賞・助演女優賞(菊地凛子)ほかノミネート
・ゴールデングローブ賞:作品賞(ドラマ部門)受賞
・カンヌ国際映画祭:監督賞受賞(アレハンドロ・イニャリトゥ)




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