映画『サニー/32』考察——「凶悪」チームが描く犯罪史上最も可愛い殺人犯!

スポンサーリンク
スポンサーリンク
サスペンス

『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』など、人間の“醜さの熱”を描かせたら随一の白石和彌監督が、「犯罪史上最も可愛い殺人犯」=サニーという虚像(偶像)をめぐる狂信と暴力を正面から切り取ったの本作。

「サニー/32」というタイトルは、無垢さを想起させる“サニー(陽)”と、序列やタグ付けを連想させる“/32”の異様な接合がポイント。匿名掲示板やランキング文化に代表される現代の数値化・記号化が、どれほど人間の感情を歪めるか——そこに映画の芯が通っています。

さて、本作をネタバレ全開で考察してまいります。

基本情報

  • 作品名:サニー/32(英題:Sunny/32)
  • 公開:2018年2月17日(新潟では2/9先行)
  • 監督:白石和彌/脚本:髙橋泉
  • 音楽:牛尾憲輔/主題歌:牛尾憲輔・田渕ひさ子「pray」
  • 配給:日活
  • 企画・スーパーバイザー:秋元康
  • 出演:北原里英、ピエール瀧、リリー・フランキー、門脇麦、音尾琢真、駿河太郎 ほか。  

あらすじ

24歳の誕生日に、中学校教師・藤井赤理(北原里英)が誘拐される。犯人の男2人は“犯罪史上最も可愛い殺人犯”として神格化された少女「サニー」の信奉者で、赤理を“サニー”と呼び監禁。やがて事件の背景と、彼らが執着する「サニー」の実像が浮かび上がっていく。作品は現代の偶像化・ネット炎上・加害者崇拝の気味悪さをサスペンスとして描く。 

何故だか白石和彌監督の『凶悪』が大好きで、無条件に白石監督とピエール瀧とリリーフランキーのコンビに反応する自分がいる。

彼の作品は暴力が軽くて、残忍なのに日常の風景に溶け込んでいる薄気味悪さが不快でいて、好奇心を擽る。

それは自分だけではなく、本作主演の北原里英も『凶悪』の大ファンだそうでかなり頑張って演じてましたね。

本作も容赦ないピエール瀧とリリーフランキーコンビでした。本当にこの2人の存在感がハンパじゃない。むしろこの2人が出てるから最後まで観ようという気にさせてくれるくらい。

って音楽にナンバーガールの田端ひさ子が絡んでるらしいんだけど全然彼女らしさを感じなかったんだけど…

サニーとは誰か?

全体的にB級感溢れるタッチで物語すすみます。園子温っぽさも感じる。

ちょっと宗教物かな?と思いましたが、大きくは間違ってはいなかったです。

本作は終始、自分が信じたいものを信じる弱い人間たちの物語。

本作のなかで「サニー」は具体と抽象の二重性を持つ単なる「記号」であるということ。

もちろん終盤で本物のサニーが出てくるが、前半まではあくまで「サニー」は作中の少女犯を示す固有名でありつつ、同時に群衆が作り上げる“可愛い悪”テンプレそのものでもある。

門脇さんこそが本物のサニーってことなんだけど、なんで監禁されてるんだろう?

終盤はピエール瀧も「サニーが本物じゃなくてもいいだろ!」とか本末転倒のわけわかない発言をする始末。え、サニーを崇拝してからみんな集ったんじゃないの?

だいぶ危ういですねぇ。「僕らは信じたいものを信じるだけの弱い人間」なのかもしれない。

多分そんなメッセージなんだと思う。

映画はこの妄想の自走を可視化し、 赤理が抵抗しても、「サニー役」に押し込められるプロセスは、現実のSNSで日常的に起きているアイコン化/タグ化のラージスケールな比喩ととらえられるでしょう。

「自分はこういう立ち位置でこうしなきゃならない。」「こうあるべきだ。」

赤理の行動はまるでアイドルが自分の役割を全うするかのような感覚がありました。

なぜ加害者を崇拝するのか?

まず出発点にあるのは例外性への酔い。

常軌を逸した事件は現実よりも物語とし昇華しやすく、さらに「若さや可愛らしさ」といった属性が悪の摩擦係数を下げ、残酷さの受け止めを鈍らせるのではないしょうか。

つまり悪いことをしてる感覚よりもカッコいい、憧れが勝ってしまう心理。

さらに秘密を共有して「選ばれし側」に回りたいという群衆心理が崇拝の共同体を固めていく。

あのセックスしてたカップルも逃げ出そうと思えば逃げ出せたはずなのに何故かリリーフランキーに惹かれてましたね。「ちょっとこの人すげぇ人なんじゃね?」

自分にはただ料理作って鍋ふってただけに見えたけど。

こうして犯行の残酷さが見えにくくなるほど偶像は磨かれ、現実の血と痛みは覆い隠される。

ってそれっぽく言うけど、ヤバいやつに憧れる心理は自分を見失ってる&自分の確固たる意志(間違ってても正しくてもどうでもいい)を持ってない&備わってないからだと考えます。

傷つかない方法

僕は人が自分のことをなんと言おうがどうでもいい人間で、その人が自分のことを批判したとしても「あぁ、そっちタイプの人間なのね」と簡単に切り捨てられます。

それは「相手が100%正しい、正義」だとは微塵も思ってないからです。

ある種の自己防衛として、自分を持つ、保つメンタルは虚構でもいいから持っておくことを勧めます。そうすると人から何か言われても特に気にならなくなります。

若い子、特に思春期の学生とかは「相手に嫌われたら嫌だ」と自分の世界の小ささが故に苦しみます。

この本物のサニーも世界が小さく、メンタルの逃げ場がなくなったがゆえに同級生を殺めてしまいました。

果たして精神を磨く場は学校にあるのでしょうか?

ツッコミどころ

本作は数分経つとガラッと空気感と展開が変わるまぁまぁのジェットコースタームービーと言えます。

物語の終盤で女子グループからハブられて心に傷を抱えていた女の子がかつてのサニーと同じように自分をハブった同級生をサニーが事件を起こした2月28日に殺そうとする。それを止めようとする北原。

なぜか本物のサニーと繋がって過去掘り下げようとする北原。

と言うか、サニーが拉致されてる設定なのも全く意味不明。

これは事件性満点ではなかろうか?挙げ句の果てに指を折ろうとする始末。勘弁してくれ…。自分を傷つける系のメンヘラ映像はきつい。

初見だと展開の速いプロットに付いていくのがようやくだが、

改めて観てみるとシンプルに1人の教師が「正しく生きろ」というメッセージを吐いてる映画に過ぎない。

だが流石にドローンに飛び移るシーンのチープさと言ったらファンタジーかと思わざるを得なかった。

そして本物のサニーは一体何だったんだ?なんで監禁されてた?

誰に?結局最後までその謎が明かされることなく本物サニーは救われたのか謎のままでした。

本作は白石監督にしてはかなり雑で荒削りな作品と言えるだろう。

まぁこのピエール瀧、リリーフランキー、白石監督コンビがみれたから最後には「どうでもいいか」という感じ終われました。観てる途中も「白石監督のオナニーなんだな」という軽い気持ちでしたから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました