Netflixで配信され話題となったドラマ『金魚妻』。原作は黒澤Rによる人気漫画で、不倫をテーマにした女性向けのオムニバス作品です。今回はドラマ版『金魚妻』を全話視聴した上で、セックス描写の不自然さや、ストーリー全体に感じた違和感について本音レビューしていきます(※ネタバレ含みますのでご注意ください)。
基本情報
タイトル:金魚妻(英題:Fishbowl Wives)
配信開始日:2022年2月14日
配信プラットフォーム:Netflix(全8話)
ジャンル:ラブロマンス、ヒューマンドラマ
原作:黒澤R『金魚妻』
監督:並木道子(フジテレビ)
あらすじ
主人公の平賀さくら(篠原涼子)は、夫・卓弥(安藤政信)と共に高層タワーマンションの最上階で華やかな生活を送っているように見えるが、実際には夫からのDVやモラハラに苦しんでいる。ある日、偶然立ち寄った金魚屋で店主の春斗(岩田剛典)と出会い、心の安らぎを感じるようになる。彼女の物語「金魚妻」を中心に、同じマンションに住む他の妻たちの物語が展開される。
1話ごとに展開される「不倫村」のドラマ
物語の舞台は都心の高級タワーマンション。ここを拠点に、住民たちがそれぞれ抱える夫婦関係の歪みや孤独から「不倫」へと走る様を描いている。中心となるのは、篠原涼子演じる主人公と金魚店の青年との恋愛ストーリー。その合間に、同じマンションに住む他の妻たちの不倫劇がオムニバス形式で進行していく。
まさに「タワマン不倫村」とでも呼びたくなる設定。
そこを後押しするかの様な風水師の存在はなんだか喪黒福造みたいな立ち位置でみんなを不倫の世界へと誘っていくのが興味深かった。
誰もが心のどこかで自由を求めつつ、結婚制度や社会的なルールに縛られて生きている。その葛藤を描こうとしているのは分かるが、描き方が全体的に表面的で、感情に深く刺さってこない印象を受けた。
SEX描写は「全員覆いかぶさるだけ」でマンネリ気味
この作品、全話通してほぼ毎回セックスシーンが登場する。しかし、これが非常に画一的。全員「覆いかぶさってるだけ」の体位で、まるで同じテンプレのような描写ばかり。
リアリティというより、演出上の無難な「正解」に頼りきっていて、視聴者としては物足りなさを感じざるを得ない。
Gスポットやクリトリスへの意識がゼロ。
感情が爆発して止められないような激しさ、あるいは静かに寄り添うような濡れ場など、バリエーションがあるはずなのに、それがまったく描かれない。
「やり過ぎるとAVみたいになるから抑えてる」のは理解できるが、結果として不自然になってしまっているのが問題だ。
むしろ全員同じやり方って、リアルじゃないんですよね。そこを期待していただけに、正直なところ肩透かしだった。「じゃあお前AVでも観てろよ」と言われたらそれまでだけど。
昔の昼ドラみたいな演出と展開の遅さ
また、全体の演出もやや古臭い印象を受ける。たとえば「海に向かって叫ぶ」みたいなシーン。
今どきの感覚ではかなりズレていて、昭和〜平成初期の昼ドラを見ているような既視感。
さすがに臭い。臭すぎるよ。
まったくもっていけてない。
テンポも遅く、篠原涼子の恋の進展がやたらとスローペースで、見ていて焦れる。毎話見せ場がある割には物語があまり動かない。
「伴走妻」の理由が薄い?設定に説得力がない問題
中でも印象的だったのが「伴走妻」のエピソード。引きこもりになった理由が「夫とちゃんと話ができなかったから」という、あまりにも普通すぎる動機。
いや、それだけで引きこもる? もっと重いトラウマや葛藤があるのかと思いきや、特に掘り下げもなく拍子抜け。
また、「伴走妻」は最終的に「最後まではやってない」という展開で、胸も見せないまま終わります。これは役者の事務所的なNGなのかもしれないが、全体の統一感という意味ではちぐはぐに感じられる。
「弁当妻」「頭痛妻」サイドエピソードも突っ込みどころ満載
「弁当妻」の回もインパクトはあるけどリアリティに欠ける設定。自分の作った弁当を美味しそうに食べてくれる男を見ると興奮する、という承認欲求の暴走という描き方だけど、「なんじゃそりゃ…」感は否めない。欲望の描き方が極端かつ類型的すぎて、感情移入が難しい。
「頭痛妻」に至っては、過去のトラウマで夫の記憶を失い、再会した夫と不倫関係になるという展開。さらに“不倫の話題になると頭痛がする”という謎の病気設定まで加わり、もはやコントのような印象さえ受けた。
結末は“再会せず”で終了。不倫カップルにハッピーエンドはない?
物語の終盤、さくらは金魚屋と別れ、DV夫の面倒をなぜか見る選択をする。正直、暴力を受けていた相手に対し、急に聖人のような対応をするのは不自然だし、モヤモヤが残る。
最終話では鎌倉で再会しそうになるが、実際には会わずに終了。ハッピーエンドを避けた形だが、不倫で結ばれたカップルの行く末をあえて曖昧にすることで、物語の後味を残そうという意図はわかる。しかし、これまでの積み重ねが薄い分、カタルシスは弱い。
『金魚妻』は不倫ファンタジーとして見るべきか
まとめると、『金魚妻』は「リアルな不倫ドラマ」ではなく、「ファンタジーとしての不倫」を描いた作品として見るべき。現実とはズレていても、「こうだったらいいな」「こんな刺激がほしい」と願望を刺激することには成功している。その意味では“映像としての美しさ”や“禁断の恋のドキドキ感”を求める人には刺さるかもしれません。
ただし、深みやリアルな共感性を求める視聴者にとっては、やや薄味に感じられる可能性が高いです。セックス描写にリアルさを求める人、心理描写の丁寧さを重視する人にとっては、消化不良感が残るでしょう。
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