考察『魔女の宅急便』|実は超リアル!思春期の男女間のすれ違いの物語

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アニメ

いまさらこの映画の感想を書いたところで誰が読むんだって話だけどただの自己満ブログなので流し読みしていただければ幸いです。

基本情報

  • 作品名:魔女の宅急便
  • 公開日:1989年7月29日(日本公開)
  • 製作国:日本
  • 監督:宮崎駿
  • 原作:角野栄子『魔女の宅急便』(福音館書店刊)
  • 脚本:宮崎駿
  • 音楽:久石譲
  • 制作:スタジオジブリ
  • 上映時間:約103分
  • 配給:東映




あらすじ

主な声の出演

  • キキ/ウルスラ:高山みなみ
  • ジジ:佐久間レイ
  • おソノ:戸田恵子
  • コキリ(キキの母):信沢三恵子
  • おばあさん(マキ):関弘子
  • トンボ:山口勝平

改めて観ると毎回BGMの入りがめちゃ秀逸。

ラジオをつけると絶妙なタイミングで「ルージュの伝言」が流れるオープニング。実に素晴らしい。

続いて久石譲の楽曲もワクワクさせてくれる。もう音だけでこんだけ感情昂らせてくれる天才ですね。

「鰊とカボチャの包み焼き」のシーンなどすでに色々と語られつくされているこの映画だが、私はこの記事で述べたいのは思春期の男女間のすれ違いの映画だと言うこと。




思春期の男女間のズレ物語

この映画、正直言って子供の頃に観た時に全然ピンときてない映画だったんです。

キキの情緒不安定さが本当に無理だった。

序盤の方でキキはトンボに助けてもらったのにも関わらず「挨拶もしないで女性に声をかけるなんて失礼よ!」ってむしろ逆に失礼な発言をする始末。

トンボと仲良くなったと思ったら同世代のトンボの友達にはめちゃ不愛想って一体全体どうなってるんだ、女心?!とよくわからなかった。

しかしいまになってみるとよくわかる。

そう、この13歳という設定が非常にこの映画を理解するのに重要なキーワードになってくるわけです。

修業中の身で「空を飛ぶことぐらいしか能がない」って自己肯定感めちゃ低いキキ。

魔女の家に生まれたからには魔女になる使命だけど、一方で自分だって同世代のようにオシャレしたいし、友達とも群れたいという気持ちもある。

だって自分の服装は真っ黒でめちゃ地味ですから。パーティーに着ていく服も気にしていたキキ。

なりたい自分といまの自分とのギャップに悩む日々。

そんなキキと対照的なザ・思春期の男の子がトンボだ。

こいつはこいつで「キキと仲良くしたい」というめちゃ純粋な気持ちでキキに絡むわけだけど、キキの女心なんてわからない。

いいんだ、思春期の男の子はみんなお前のようにわからないもんなんだ。

結果、キキを度々怒らせることになるけど、なぜキキが突然態度を変えるのかトンボは毎回理解できていない。

自分の友達たちにキキを紹介しようとするが、キキはそれを拒む。

「何で帰っちゃうのさー?」何も考えてないのかひたすら純粋なトンボが愛おしい。

だからこの物語って終始、思春期の女の子と男の子のすれ違いを凄くリアルに描いた映画なんです。




善意が全て受け入れられないトンボ

彼はキキに対して好意があるのか、はたまた純粋にキキへの親切心と仲良くしたいだけなのかその辺の描写はないので不明だが、少なくとも彼はいい人間だということはハッキリしている。

だけど彼の善意はことごとく裏目に出て、キキには受け入れられない。

さらにこのトンボは毎回タイミングが悪い。

キキが接客してるタイミングにパーティーの誘いをするトンボ。

魔法が突然弱くなったキキが落ち込んでる時に電話で「飛行船がさ~」って無邪気に電話するトンボ。

こうなるともはや可哀想です。

一生恋愛には発展しなさそうです。

でも私は男なのでトンボ側に立ってキキに言いたい。

もうちょい自分のメンタルを表に出すこと頑張らない?って。

まぁ、この時期の女の子だから自分の感情を抑える余裕がないんだろうけど。

だけど、唯一彼の善意が報われるシーンが空飛ぶ自転車にキキを乗せてあげるシーンだ。

結果自転車はぶっ壊れるわけだが、キキはなぜか大爆笑。

怖い目にあったのに大爆笑です。

理由を聞くトンボ。

「だってとても怖かったから」。

ポカーンとするトンボ。

女の子は時に裏腹なことをいうことがあるんです。でもこの時のトンボにはそんなのは理解できるはずもなく、彼にできるのはただつられて一緒に笑うだけである。

このシーンこそ、彼ら思春期の男女2人が最も対極だと象徴するシーンなのだ。

改めて観てすげぇな、宮崎駿監督。って思わず唸ってしまった。

この時期の男女はお互いことが最もわからない宇宙人のような存在なのだ。女心がわかるのはもうちょい先の話。ドストレートないかにもな女の子は正直言って、男の子にとっては怖い存在でもある。




受け入れられられない善意

トンボの善意が受け入れられない話だけではない。孫に「ニシンとカボチャの包み焼き」を送るシーンもまさにそうだ。

いくら頑張って作っても、孫からは「私これ苦手なのよね」と言われてしまう。

でも果たしてこの孫は悪いだろうか?

毎回自分が苦手だと思っている料理を送りつけられたら正直迷惑である。

自分が頑張って作ったかどうかはお客さんには関係ないのだ。

だからこのお婆さんも孫のことを考えてるようで実はちゃんと孫のことを理解していないし、あまり理解しようとしてないんだと思う。自分のエゴに気づいていない。

これからも彼女はこの料理を送り続けるのだろうか。孫は食べずに捨ててしまうのだろうか。

感謝されない親切心も、男女間のズレと同じですね。

でも彼女も善意で行っているだけなのだ。悪い人間なんてこの映画で一人も出てこない。

人間関係って難しいね。

なんだかファンタジー作品なのに妙にそういったものがリアルに描かれた作品で大人になってから一層刺さる映画だと気づかされました。

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