クリスト・ファーノーラン監督作品のSF映画。
色々と専門用語がたくさん出きて理解するのが難しいことから所謂「難解映画」と言われている。
ちなみに私はこの映画、3回鑑賞しました。その上で思った事を述べていきたいと思います。
まず映画の概要を凄く簡単にネタバレ込みで述べていくとする。
これから観る予定の方は一度ご覧になってから再度この記事に戻ってきていただきたい。
基本情報
- 原題/邦題:Interstellar(インターステラー)
- 公開:2014年(日本公開:2014年11月22日)
- 製作国:アメリカ・イギリス合作
- 監督:クリストファー・ノーラン
- 脚本:ジョナサン・ノーラン、クリストファー・ノーラン
- 製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン ほか
- 音楽:ハンス・ジマー
- 上映時間:169分
- ジャンル:SF/ヒューマンドラマ/冒険
- 配給:パラマウント映画(米)、ワーナー・ブラザース(日本)
主なキャスト
- マシュー・マコノヒー:ジョセフ・クーパー(元NASAのパイロット、主人公)
- アン・ハサウェイ:アメリア・ブランド博士(宇宙飛行士)
- ジェシカ・チャステイン:マーフ(成長後のクーパーの娘)
- マッケンジー・フォイ:幼少期のマーフ
- マイケル・ケイン:ジョン・ブランド教授(NASAの科学者)
- マット・デイモン:マン博士
- ティモシー・シャラメ:トム(幼少期のクーパーの息子)
あらすじ

地球の寿命が尽きかけていた時代。
居住可能な新たな惑星を探すミッションの先導者に、元エンジニアでシングルファザーのクーパーが選ばれる。
彼を待っていたのは、想像を絶する未開の宇宙空間だった…。
ネタバレでわかりやすく説明します
設定は異常気象によって地球が終わりを告げようとしている近未来。
人類は地球を救うのではなく、ほかの惑星に移住する選択をとる。
そしてNASAでは極秘で二つのプランが進められていた。
一つ目のプランAは全人類ごと移住しようとする計画。
かなりの大規模移動になる為、課題としては重力制御の方程式を解く必要があるがNASAを仕切るブランド教授はまだ半分しか解けてない。
プランBは受精卵のみ移住し他の惑星で人口培養。
つまり今地球に住んでる人類は見捨てるというもの。
そこで主人公のクーパー達は実際に人間が居住可能な惑星なのかを確認しに宇宙へ行く事に。
ところがブランド教授は死ぬ間際になって実はプランAは実現不可能である事に気付いていてそれを黙っていたことを打ち明ける。
つまり重力制御の方程式を完成させるにはブラックホールの内側の粒子データが必要でブラックホールに行かないとデータが集められないからだ。
つまり粒子データは人間が知り得ない情報ということ。
それを知ったクーパーはブラックホールへ重力ターンに挑み無事に粒子データを集めて今度はモールス信号で地球へデータを送り、クーパーの娘が重力の方程式を解き、めでたくスペースコロニーが実現しましたみたいな話。
めちゃめちゃ端折ったけど簡単に言えばそんな感じ。
で、思ったのがこの映画全く観客に優しくない。
ていうかやっぱり私はノーラン監督が合わないなと思った。下記がその理由だ。
そもそも理解させる気がない
本作は専門分野の人たちの知識をふんだんに取り入れたみたいだけど、正直言って一般人には到底理解し得ないものばかりです。
基本はいま説明した概要の通りなんだけど突き詰めていくと「?」の連続。
たとえば、
「五次元の中に三次元を作った」とか
「五次元の彼らが四次元立方体を閉じ始めた」とか
普通の人からすればこう言ったセリフをサラッと言われても「はぁ?」の連続である。
もっともらしいこと言ってるけど「四次元」すらピンときてない上に「五次元」とか言われても何のこっちゃでしょ。
専門用語もどんどん出てくるうえにこの映画のキャラ達はそれをまるで当たり前の様に話してて観客を置いていく。いちいち説明口調も野暮ったいが完全に観客を置いてくつもりです。
これは私やあなたの理解力の問題ではない。これを理解できるように作らなかったノーランが悪いのです。
完全に確信犯です。
さらに肝心のプロットに穴があるのでそもそも理解できるようには作られていません。
そもそも論だけど粒子データをモールス信号で送るってどれだけ簡単な内容なの?
物凄い情報量なんじゃないの?このご都合主義的な展開にノーランの粗さがめだつ。
人間ドラマで最後までみせる
と、ここまでボロクソに言ってしまったがこの作品がなぜこんなにも評価されてるのか?
考えると骨太な親子愛が映画の核となっているからだと思う。
最初に降り立った惑星では相対性理論により「惑星での1時間が地球では7年」という恐ろしいスピードで過ぎていく。
この相対性理論を利用した設定が非常に上手くてクーパーの姿は変わらないのに地球ではどんどん年月が経っていく。
そして娘や息子の歳がクーパーと同じになっていくのを彼らからのビデオレターを通して知ることになる。
なんかこの時間差がエグすぎるし、本来子供達と過ごせた時間があっという間に過ぎ去っていってしまっていった切なさが相まってなんとも言えない感情になる。
最終的にはスペースコロニーが実現し、クーパーはようやく娘と再会。
だけど年齢は逆転し娘は老婆の姿に。
それでも父親の帰還を信じていた娘。
流石にここは感動しました。
だけど、ふと我に帰る。
息子の存在は?
そうなんです。この映画、途中から息子の描写が一切なくなり娘と親父の話になってます。
これではあまりに不親切といか描き方が中途半端というか…
っていう事で相変わらずインテリぶった作風のノーラン作品は肌が合わないんだけど人間ドラマで何となく名作チックな印象を残す映画でした。
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