2007年公開された『秒速5センチメートル』は、恋の物語でありながら「時間」「距離」「成長」という
人間の普遍的テーマを描いた新海誠監督の代表作。
スマホもSNSもなかった時代だからこそ、「会えないこと」がどれだけ残酷だったか。
そして、今の時代に観ても胸を締めつけるのは、人が誰しも「過去に置いてきた誰か」を思い出すからでしょう。
さて、本稿ではネタバレ全開で感想を述べていきます。
基本情報
- 作品名:秒速5センチメートル
- 英題:5 Centimeters per Second
- 公開:2007年(日本)
- 監督・脚本:新海誠
- 制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
- 音楽:天門(Tenmon)
- 主題歌:「One more time, One more chance」山崎まさよし
- 上映時間:63分
- 構成:全3話構成(連作短編)
- 桜花抄(おうかしょう)
- コスモナウト
- 秒速5センチメートル
あらすじ

第1話「桜花抄」
1990年代前半。東京に住む少年・遠野貴樹と少女・篠原明里。
小学生のふたりは転校で離れ離れになるが、手紙のやり取りを続けていた。
ある日、貴樹は雪の降る夜に電車を乗り継いで明里に会いに行く。
だが、列車の遅延で約束の時間を過ぎてしまい——。
第2話「コスモナウト」
時は高校時代。舞台は鹿児島。
貴樹に恋する同級生・澄田花苗は、自分の想いを伝えられないまま卒業を迎える。
一方の貴樹は、もう心がどこか遠くにあり、明里への想いを忘れられずにいた。
ロケットの打ち上げ音が響く空の下、花苗は涙をこらえて走る——。
第3話「秒速5センチメートル」
社会人になった貴樹と明里。
それぞれの人生を歩みながらも、心のどこかであの日の記憶を探している。
桜の舞う季節、線路を挟んで再びすれ違うふたり。
けれど、振り返った先には——
タイトルの意味
「秒速5センチメートル」とは、「桜の花びらが落ちる速さ」。
つまり、人と人との距離が少しずつ離れていく速さを象徴しています。
新海監督らしい詩的な比喩で、時間や成長、恋の儚さを数値で示したタイトルなんです。
ところが実際はこの花びら落ちるスピードに科学的根拠はないらしいです。笑
遠野貴樹に物申す
超簡単に言ってしまえば、
幼い頃に触れてしまった恋愛の残像に大人になっても取り憑かれる男の話。
女はさっさと別の男と結婚し、自分の人生を進めるが、男は女への想いが消えずに前に進めないでいる。
「いつでも探してるいるよ、どっかに君の姿を〜♬」
そんな話です。
別によくある話です。でも誰にでもあるでしょう。元カノ、元彼、心のどこかにいつまでもいる大事な人。
それは大抵恋してた自分に恋するような感覚ではあるんだけど。
遠野貴樹君よ、一言言いたいんだけど
今を充実しようと努力はしてるのかな?
今の方が楽しいと思えたら過去の恋愛なんてどうでもよくなるんじゃないかな。
もしあの時…とかパラレルワールド考えてる時間があれば自分の人生を充実させる努力をしませんか?
上手くいっていれば、明里みたいにふと思い出すことがあっても「あんなことあったねー」くらいのスタンスでいけるはず。
ってそれに気づくのはまだ先のことなんでしょう。仕事頑張りすぎてメンタルやられてるくらいだから。
きっと仕事も行き詰まって辞めてしまった最後のシーンで吹っ切れたと考えれば救いようがあるか。
男女間の違い
特別な体験をした二人は特別な人と思い込むのも理解できるが、
しかし同じ体験をしていて男女でこれほど差が出るのが興味深いです。この話ってそこが肝。
これって宮崎駿の「魔女の宅急便」の記事でも触れたけど、この頃の男女ってびっくりするくらい精神的な意味で交わらない。
2話目の「コスモナウト」もそうで、カナエの好意に遠野貴樹は全く気づかない。
コイツ鈍感すぎだろってくらい。
カナエに「一緒に帰ろうよ」って気軽に誘うけど、それは恋愛感情からじゃなくて、シンプルに「どうせなら二人で帰ろっか」と男友達にでも言うような軽い誘い。
カナエが気持ちが自分に向いてないことを悟り泣いてる姿をみても、遠野貴樹は「何で泣いてるの?」とサイコパスばりに聞いてくる始末。
どうやら遠野貴樹はシンプルに純粋なやつのやうだ。そして女心がまだわからないのだ。
女心がわかるようになるにはもっと色んな恋愛をして成熟してからのこと。そして男心だってこの頃の女の子にはわからない。
わからないから知りたいし、惹かれ合うのかもしれないですね。
そしてこの男女の思考の違いを上手く恋愛というテーマで表現したのが本作。
テーマ:距離
新海誠がずっと描くテーマは「距離」。
本作では「遠距離」になり初恋の相手をいつまでも引きずる男の話。
「言の葉の庭」では15歳と教師という「歳の差という意味での距離」。
「君の名は。」では隕石落下する前と落下した後の3年間という「時間の距離」。
「天気の子」では天の上との神話的な距離。
一貫して人と人との距離をテーマに描き、本作ではお互い近づいたのに遠く離れていく話となっています。それは最後の踏切のシーンでも象徴されています。
ちなみにこの踏切のシーン、本作では結局貴樹と明里が再会することはなかったが、「君の名は。」では瀧と三葉は無事に再会を果たします。
「君の名は。」が素晴らしいのはやっぱり本作があるからなんだろうなと「秒速5センチメートル」ファンは考える。
映像美と音楽
本作が素晴らしい点は圧倒的にリアルな映像美と天門による音楽がひたすら美しい。
映像美ってのはキャラクターではなく、背景ね。
当時まだ個人制作に近い体制だった新海誠監督が、驚異的なまでの美しい背景描写で東京と地方の距離を映し出します。
- 夜の駅舎に積もる雪
- オレンジ色に染まる電車の車窓
- 桜の舞う田園風景
その一枚一枚がまるで写真のように精密で、日本アニメーションの中でも群を抜く「光と影の演出」が光ります。
新海誠監督は毎回実際にあるロケーションをそのまま描きます。だからファンの間では聖地巡りもされている。
都内在住の私も「あぁ、あそこね」とわかるほどリアルです。
そして胸を締め付けられるような天門の音楽が物語を一層盛り上げる。
この人の音楽好きだったけどこの後はRADWIMPSが担当することになり、「君の名は。」は大ヒット。
天門だったらどうなってたのかな。なんて想像してみる。
ラストシーンについて
3話目に関してはほぼ内容がないと言うかもはや山崎まさよしの「One more time,One more chance」のPVです。
3話の中でも一番短いし、初見の時はほぼ歌なので「これって成立してるのか?」と思ったけど。
確かにこの曲がなければ成立しない作品ではあるが、音楽に比重が置かれまくっていて(君の名は。も同じく)、正直作品としてどうなんだろうと毎回思ってしまう。
まぁ、余計なことを足す必要がないと言うことなのでしょうが、ちょいと音楽に力借りすぎ感は否めない。それだけ作品時間はシャープになり、観やすくはなっているからここには正解はないんだろうけど。
最後の踏切のシーンは明里にとっては単に電車が通り過ぎるのを待ってるだけの日常。
一方、どこかで明里が忘れられない貴樹は「あれ、明里かも」みたいな幻想を追いかけてる対照的なシーン。
貴樹にとって最後の歩む顔は果たして「こんなわけないか。」と吹っ切れた表情なのか、
はたまた、これからもずっと明里を追い求めて生きていくのか。
これ後者だったら地獄ですよね。いい大人になってまだ過去の理想に囚われて生きていく。これほど恐ろしい話はありません。
貴樹にとって、明里は永遠に手の届かない理想であり、彼はその想いを抱えたまま大人になり、現実の中で立ち止まってしまう。
一方、明里は前を向いて歩き出している。
この対比が痛いほどに胸に刺さる。
是非遠野貴樹君には幸せになってもらいたいものです。
評価・受賞歴
- 文化庁メディア芸術祭アニメーション部門 審査委員会推薦作品(2007)
- 海外でも「心の距離を描いた傑作」と高く評価され、
アジア・ヨーロッパ各地で上映されました。 - Rotten Tomatoes(海外評価サイト)でも、
映像美と詩的な脚本が高く評価されています。



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