実写『秒速5センチメートル』|新海誠監督の原作との違い。違和感について徹底解説・考察

スポンサーリンク
スポンサーリンク
ラブストーリー

新海誠の名作「秒速5センチメートル」が、ついに実写映画として帰ってきた。

2007年のアニメ版公開から18年。

監督は写真家・映像作家としても知られる奥山由之。

主演はSixTONESの松村北斗、ヒロインに高畑充希。

原作の透明感、孤独、淡い後悔。それを現実の人間が演じることで、どんな「痛み」に変わるのか。

アニメ版を何度も観た人ほど、胸に刺さる作品になっている。

本稿では原作の大ファンである私がネタバレ全開で感想を述べていきます。

基本情報

  • 作品名:秒速5センチメートル(実写版)
  • 公開日:2025年10月10日(金)
  • 監督:奥山由之
  • 脚本:鈴木史子
  • 出演:松村北斗(遠野貴樹)/高畑充希(篠原明里)
  • 音楽:米津玄師「1991」/劇中歌:山崎まさよし「One more time, One more chance」
  • 上映時間:121分
  • 制作・配給:東宝
  • 原作:新海誠「秒速5センチメートル」(2007/コミックス・ウェーブ・フィルム)

あらすじ

東京郊外で育った遠野貴樹(松村北斗)と篠原明里(高畑充希)。

小学生の頃、転校で引き裂かれた二人は、文通で想いをつなぐ。

やがて雪の夜。

貴樹は電車を乗り継ぎ、明里の住む街へと向かう。

列車の遅延、吹き荒れる雪、募る想い——。

やっとの思いで再会した二人は、駅の待合室で一夜を過ごす。

そして再び別れたまま、時間だけが流れていく。

大人になった貴樹は、あの日の記憶を胸に、東京で働いていた。

だが何かを失ったまま、生きることに意味を見いだせずにいる。

一方の明里もまた、自分の人生を歩みながらも、ふとした瞬間に彼を思い出す。

そして——

桜の舞う季節、再びあの線路で、二人の時間が交差する。

BGMが「天門」じゃない件

まず私が感じたのは、なぜ天門が楽曲を担当しなかったのか?と言うこと。

この作品って少なからず僕のように天門の音楽ありきだと思ってる人多いんじゃないかな。

唯一、「想い出は遠くの日々」を今回は江崎文武さんアレンジしてます。

これはこれでいいんだけどなんか音階違うしなぁ。それ以外の曲も好きなんだよ。

あの楽曲たちこそが「秒速5センチメートル」の重要な要素なんだよ・・・。

そもそも別の作品だから権利上オリジナルを使うのは厳しいか。ワンモアタイムもアレンジ変えてたくらいだから。

確かに全体を覆うような柔らかなピアノのBGMは心地はいいし世界観と合ってました。

だけどやっぱりなんか違う。それはこの作品にこびりついた天門のイメージが強過ぎるのでこれを「秒速5センチメートル」と言われることに対しての違和感があるという極めて個人的な意見です。

2人は2009年当時は29歳だったんだ。僕の5個上ということでRadioheadのファーストアルバムの「パブロハニー」を聴いていたってのも納得。

「creep」じゃなくて「Thinking About You」ってのもセンスあるなぁ。

あ、米津玄師はいらん。

むしろ劇中歌としてのBUMP OF CHICKEN「銀河鉄道」の方が好きでした。

原作リスペクト

さっそく音楽について言いましたが、作品全体を通して、過度な改悪だとも思わなかったし、原作リスペクトをしっかり感じられたことは確か。

アニメからの実写化としては成功の部類だと思います。

映像はあえてボヤけさせることでアナログっぽさとノスタルジックさを表現。原作にあったロケ地の構図まで本当に、「これが実写」と言った感じです。

映像の綺麗さで言えばなんの文句もありません。

この作品を象徴するようなドコモタワーや新宿、小田急線、栃木・岩舟、種子島の海と空、夕日とロケーションの再現は見事でした。

色彩が豊かで桜が美しい。雪が美しい。四季が美しい。

その世界観を見事に再現してくれたのは原作リスペクトがあるからこそなんだろうなぁ。

テンポが悪い

あとはどうしても原作と比べるとテンポがスローなんですよね。

原作は1時間くらいだから、1時間ほどシーンが足されてるわけだけど、

そこいる?とか、そこカットする?とか原作が好きな人ほど思う要素が結構あります。

私は体感時間を信じてて、121分の映画なのに「2時間半くらい」に感じてしまいました。

何でしょう、やっぱりだるかった。わかっちゃいるが、観てるのしんどかったかな。

この原作って1時間しかないが故に、非常に詩的余白が多い作品です。なので観客がその余白を想像することで完成する作品。

だから説明的なシーンが増えて、観客ごとに微妙に印象の誤差が出るのは仕方がないことだし、手放しで賞賛できないのはその誤差があるから。でもそれ言い出したら自分が監督するしか無いんですよね。

これ言い出したら実写化はみんなそうか。

だから本作の「秒速5センチメートル」はやっぱり別の作品であって、新海誠の「秒速5センチメートル」とは似て非なるもの。

あざとさ

ちょっと演出はあざといかな。

貴樹の元教師で、カナエの姉貴の宮崎あおい(役名ある?なんだっけ?)。

めちゃ可愛いんだけど、種子島を飛び出して教師になったのに今度は、東京に出てきてて明里と同じ仕事場の先輩っていう設定というのもちょいと無理あるかな。

さらにこの広い東京で偶然にも昔の教え子の貴樹に会うとかちょいとご都合主義な気がします。

貴樹との飲みに誘うのも、「展開作るの必死だなぁ」と思ってしまった。

そしてもっとあざといのがプラネタリウムのシーン。

「こないだまでその席に明里が座ってた」とかいう設定も感動が冷めるんだよなぁ。

「近くにいるのにお互い会えない」というすれ違いを表現したかったんだろうけど正直、無理矢理感がある。

しかもプラネタリウムの館長は明里にも貴樹にも会っていて、明里の想いを貴樹に伝えるシーン、いらん。

明里がどう思ってるのか貴樹は知らないからこの作品はリアルなんだよ!

現実世界では絶対にそんなことない。僕がこの「秒速5センチメートル」が好きな理由が徹底したリアリズムに溢れてるからであって、いきなりこんなご都合主義な展開になってしまうとどうしても拍子抜けしてしまう。

貴樹はこれからも「明里という理想」を求めて彷徨うラストにしてくれないと。(これは自分の原作のイメージです)

「彼女はいま幸せ」と言うことを館長伝いで知ってしまうのはやっぱり自分としては納得いかない。

なぜカットした?

物語の展開順は原作と変えられていて、原作の1話、2話、3話と順番通りに話は進まず、3話、2話、1話と逆に遡っていって、最後にあの踏切のシーンに繋がる構成です。

これに関しては何も異論はありません。むしろよくこれだけ綺麗に繋げてくれました。

だけどカナエが貴樹が全然自分のことを何とも思ってないことがわかり泣き出すシーン。

貴樹の「どうして泣いてるの?」のセリフがない。なんで?

原作だとそのセリフがあるから貴樹が全くカナエのことを何とも思ってないことが理解できるが、あのセリフがないとカナエの気持ちに気づいていたかもという解釈にもなってしまうよ。

まぁ告られてないから貴樹としてはその気持ちに答えるも答えないもないんだろうけど、そこは少し残念だったかな。

そして枕を濡らしたシーンではなく、海を見て泣くシーンに変わっていた。まぁこれはどちらでもいいけど。

この作品に希望は必要か?

山崎まさよしでほぼ占められていた3話が大きく改変されています。

そりゃそうだ。原作の3話は一番短くてほとんどあの曲のPVだし。

原作にはないけど、会社を辞めて就職先が見つかって良かったね。

前を向いて歩く希望あるラスト。

過去を忘れるくらい今が充実してることを願う明里。

そう、過去を思うのは悪いことじゃないけどやっぱりいまが楽しかったら過去なんて思い出してる暇はないんだよね。

そう言う意味では貴樹は「いま」が充実してないのだろう。

だから一番心が燃えた過去に囚われているのだろう。だからわざわざ明里に会いに栃木まで行ったんだろう。

貴樹自身に幸せなパートナーがいて充実してる日々を送ってるならそんな発想にならないもんね。

原作にはないけど、水野さんとの関係をあんな感じで終わらせなくて良かった。唯一改変で救われた気がしました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました