【映画レビュー】『轢き逃げ 最高の最悪な日』感想|詰め込みすぎた懺悔ミステリーの行き先は?

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ミステリー

基本情報

タイトル:轢き逃げ 最高の最悪な日

公開日:2019年5月10日(日本)

ジャンル:社会派ドラマ/ヒューマンサスペンス

上映時間:127分

監督・脚本:水谷豊

音楽:佐藤允彦

出演:中山麻聖、石田法嗣、小林涼子、毎熊克哉、水谷豊、岸部一徳 ほか

配給:東映




あらすじ

ある晴れた昼下がり。細い道をスピードを出して走る一台の車が、一人の若い女性をはねてそのまま逃走する。
加害者はエリート設計士・宗方秀一(中山麻聖)とその親友・森田和成(石田法嗣)。
その瞬間から、彼らの「最高の一日」は「最悪の一日」へと変わっていく──。

一方、被害者・白河早苗の死をめぐって、刑事の柳(水谷豊)は独自の視点で事件を追う。
被害者の遺族、友人、加害者たちの抱える秘密が少しずつ明らかになるにつれ、物語は“ただの轢き逃げ事件”から“人間ドラマとミステリー”の様相を見せていく。

色々詰め込みすぎた結果、散漫になった物語

タイトルから想像つく。加害者と被害者双方の視点から描くドラマなんだろうということ。

水谷豊が監督ということで少し期待したけど、結果から言うとやっぱり厳しかった。

まず正直な感想として、要素を詰め込みすぎた印象が否めない。

「懺悔ドラマ」かと思いきや、途中から探偵まがいの刑事パートが加わり、さらに終盤には「どんでん返し」風の展開まで。

いらん。

そのどれもが中途半端で、一本筋の通った物語としての強度には欠ける。

たとえば、水谷豊演じる刑事がほんのわずかな情報から加害者の家を突き止める展開は、さすがにご都合主義すぎて冷めてしまう。

よくもあれだけの手がかりで犯人の家まで行って、挙げ句の果てに不法侵入とは。一線超えてて全然リアリティがない。

完全に「相棒」ノリでもはやなんちゃって探偵ごっこの域。

この刑事ドラマの感覚が映画のリアリティと乖離していた。

なんでこうなるんだろう?「相棒」のファンサービス?いらん。




キャスティングと演技のばらつき

水谷豊や岸辺一徳以外は無名の俳優の劇団みたいなノリだ。

主演の中山麻聖や石田法嗣はそこまで知名度が高くないが、それは別に構わない。問題は演技の質だ。

被害者の女友達の泣き方は下手くそ過ぎるし俳優陣に大根が多いのが問題だ。泣きの芝居に説得力がないと、感動どころか白けてしまう。

加えて、劇団っぽい演出や台詞回しが全体的に強く、映像としての没入感を削いでいる。

水谷豊や岸部一徳といったベテランが画面に出てくると途端に引き締まるのだが、若手との演技の温度差が目立ってしまうのは残念だった。

演出と脚本のズレ

犯人もステレオタイプな狂ったやつだけど、別に意外性はないしすごく中途半端な印象を受ける。

また、被害者の遺品に日記が出てくるのだが、SNSのこの時代に手書きで日記を書くか?というツッコミを誘発するような古さもある。

そして最大の問題はテンポの悪さ
犯人逮捕後、何度も何度も被害者の写真やモノローグが挿入される演出が、まるで「泣かせにきてますよ」という意図が透けて見え、観ていて少ししんどい。

「もうわかってるから、早く次に進んで」と感じてしまう。

唯一リアルだった「罪の重さ」

とはいえ、評価できる点もある。
それは、「捕まった方が楽だった」と語る加害者の心理にリアリティがあったこと。

罪の意識に押しつぶされそうになりながら、偽装や逃亡を続ける精神的負荷。
周囲の目、責任、人生が崩壊していく様子は、現実に近いものとして描かれていたと思う。

ここは脚本と演技がマッチした稀有なパートだった。

総評:「映画として成立していない」わけではないが…

『轢き逃げ 最高の最悪な日』は、決して「完全に失敗作」というわけではない。

それでも、「映画としてバランスが悪い」「欲張りすぎた脚本「「演出があざとい」という評価は避けられない。

テーマとしてはいいけど轢き逃げ犯が追いつめられるだけのストーリーだといまいち弱いから色々つけたしたら散漫になってしまったような脚本。

観終わった後に心に残るのは、「細い道ではスピードを出すな」という教訓だけだった。

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